ジュセリーノ・ダ・ルースは、予知夢によって未来を予言するブラジルの予言者である。「9.11テロ」「ダイアナ妃の暗殺」「四川大地震」「バージニア工科大学銃乱射事件」など、世界中の大事件や災害を予言的中したとされている。
「ジュセリーノ」という名前を聞いて懐かしいと感じる読者も多いだろう。今から約10年前、ジュセリーノは「90%の予言が当たる」というキャッチフレーズで日本のTV番組にも出演し反響を得た。当時、彼の予言をまとめた本はベストセラーにもなっている。現在もホームページを持って活動中の彼だが、日本ではかつてのブームは去ってしまった。
そのような一時代を築いた予言者であるジュセリーノが、近日中に日本に起こる恐ろしい予言をしている。なんと、2018年6月21日に日本の東海地方でマグニチュード10.6の巨大地震が起きるというのだ!
ここで、いまいちどジュセリーノの軌跡を振り返ってみよう。
ジュセリーノは1960年3月、ブラジルのパラナ州マリンガ市の農家に生まれ、高い教養はないが真面目な両親のもとで育ったという。だが、幼少の頃は貧しく、パンを買うお金もないほどだったため、彼は8歳の頃から兄弟と共にポップコーンを売るなどして家計を支えていた。
8歳の頃、ジュセリーノは黄金の光球――つまりUFOを毎日のように見ていたという。光球があらわれてから1年ほどたった時、ジュセリーノは彼を導く不思議な助言者の声が聞こえるようになった。そして9歳の時、彼は見知らぬ家族が交通事故にあって死亡するという初めての予知夢を見る。ジュセリーノはその家族の家まで訪ねて危機を伝えたものの、取り合ってもらえなかったそうだ。そして予言どおり、その家族は交通事故で4人全員死亡してしまったのである。
母はジュセリーノの能力を恐れて病院に連れて行った。異常は見当たらなかったが、予知夢の問題で小学校は1年留年したという。
1973年、13歳のジュセリーノはこの頃から夢で予知したことを関係者に知らせる手紙を書くようになったという。それは助言者の指導によるものであった。
とはいえ自身の特異な体質に悩んだ彼は15歳の時、大聖者フランシスコ・シャビエル師を訪ねようと決意。シャビエル師のもとに行くと相談者の長蛇の列ができており、すぐには会えそうもない状況だったが、不思議なことにジュセリーノは、シャビエル師に呼ばれてすぐに会うことができた。シャビエル師は彼が来ることを予見していたのだ。そこでジュセリーノはシャビエル師から「夢を見て未来を予知することが使命なのだ」と気づかされ、予言者として生きる決意をしたのだった。
ジュセリーノほぼ毎日予知夢を見るという。一晩のうちに複数の予知夢を見ることもある。彼は予知夢を見ると目覚めてはすぐにメモを取り、古いタイプライターと一部手書きで夢を記録し、危険な内容であれば未然に防ぐために関係者に警告文を送付する。
ちなみにジュセリーノは、ノストラダムスが四行詩という難解で抽象的な形で予言を残したのとは異なり、発生する年月日や対象の名前などを克明に予言する。1973年から記録した予知夢は数万件以上。以下、ジュセリーノが的中させたという主な予言を抜粋しよう。
・スペース・シャトル・チャレンジャー号爆発事故(1972年予言→1986年的中)
アメリカのスペース・シャトルが発射直後爆発して宇宙飛行士全員死亡することが、2000年が終わるまでに起きると予言。
・チェルノブイリ原子力発電所事故(1980年予言→1986年的中)
1986年にキエフ北部のチェルノブイリで最悪の原子力事故が起きると予言。ウクライナ共和国大統領宛に航空便を出している。
・阪神淡路大震災(1979年以前に予言→1995年的中)
古い予知夢で、1995年に日本の神戸で大きな地震が起き、5000人以上が亡くなると予言。日本の政府関係者に手紙を送り続けていた。
続く
以下ソース
http://tocana.jp/2018/05/post_16949_entry.html
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「ジュセリーノ」という名前を聞いて懐かしいと感じる読者も多いだろう。今から約10年前、ジュセリーノは「90%の予言が当たる」というキャッチフレーズで日本のTV番組にも出演し反響を得た。当時、彼の予言をまとめた本はベストセラーにもなっている。現在もホームページを持って活動中の彼だが、日本ではかつてのブームは去ってしまった。
そのような一時代を築いた予言者であるジュセリーノが、近日中に日本に起こる恐ろしい予言をしている。なんと、2018年6月21日に日本の東海地方でマグニチュード10.6の巨大地震が起きるというのだ!
ここで、いまいちどジュセリーノの軌跡を振り返ってみよう。
ジュセリーノは1960年3月、ブラジルのパラナ州マリンガ市の農家に生まれ、高い教養はないが真面目な両親のもとで育ったという。だが、幼少の頃は貧しく、パンを買うお金もないほどだったため、彼は8歳の頃から兄弟と共にポップコーンを売るなどして家計を支えていた。
8歳の頃、ジュセリーノは黄金の光球――つまりUFOを毎日のように見ていたという。光球があらわれてから1年ほどたった時、ジュセリーノは彼を導く不思議な助言者の声が聞こえるようになった。そして9歳の時、彼は見知らぬ家族が交通事故にあって死亡するという初めての予知夢を見る。ジュセリーノはその家族の家まで訪ねて危機を伝えたものの、取り合ってもらえなかったそうだ。そして予言どおり、その家族は交通事故で4人全員死亡してしまったのである。
母はジュセリーノの能力を恐れて病院に連れて行った。異常は見当たらなかったが、予知夢の問題で小学校は1年留年したという。
1973年、13歳のジュセリーノはこの頃から夢で予知したことを関係者に知らせる手紙を書くようになったという。それは助言者の指導によるものであった。
とはいえ自身の特異な体質に悩んだ彼は15歳の時、大聖者フランシスコ・シャビエル師を訪ねようと決意。シャビエル師のもとに行くと相談者の長蛇の列ができており、すぐには会えそうもない状況だったが、不思議なことにジュセリーノは、シャビエル師に呼ばれてすぐに会うことができた。シャビエル師は彼が来ることを予見していたのだ。そこでジュセリーノはシャビエル師から「夢を見て未来を予知することが使命なのだ」と気づかされ、予言者として生きる決意をしたのだった。
ジュセリーノほぼ毎日予知夢を見るという。一晩のうちに複数の予知夢を見ることもある。彼は予知夢を見ると目覚めてはすぐにメモを取り、古いタイプライターと一部手書きで夢を記録し、危険な内容であれば未然に防ぐために関係者に警告文を送付する。
ちなみにジュセリーノは、ノストラダムスが四行詩という難解で抽象的な形で予言を残したのとは異なり、発生する年月日や対象の名前などを克明に予言する。1973年から記録した予知夢は数万件以上。以下、ジュセリーノが的中させたという主な予言を抜粋しよう。
・スペース・シャトル・チャレンジャー号爆発事故(1972年予言→1986年的中)
アメリカのスペース・シャトルが発射直後爆発して宇宙飛行士全員死亡することが、2000年が終わるまでに起きると予言。
・チェルノブイリ原子力発電所事故(1980年予言→1986年的中)
1986年にキエフ北部のチェルノブイリで最悪の原子力事故が起きると予言。ウクライナ共和国大統領宛に航空便を出している。
・阪神淡路大震災(1979年以前に予言→1995年的中)
古い予知夢で、1995年に日本の神戸で大きな地震が起き、5000人以上が亡くなると予言。日本の政府関係者に手紙を送り続けていた。
続く
以下ソース
http://tocana.jp/2018/05/post_16949_entry.html
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