私のように、社会の底辺にいて人から愛されることも、
人から必要とされることも無い人間は、命以外に失うものが
何も無いと言う点で、非常に有利であると言える。
ほぼ抑止無く自由に、怨恨、快楽、あるいは理由無く無差別殺人を行えるのだ。
失うべき地位も財産も無く、社会的制裁も甘めである。
我々は善良なる市民の命をいつでも奪えるが、
そういう我々の人権、命は手厚く保護されるのである。
捕まっても、心神喪失で無罪の可能性もあり、
また死刑になったとしても社会不適応の役立たずの命が消えるに過ぎないし、
またそれすら下されないかもしれない。特に未成年なら。
それに対して、愛すべき家族、恋人、友人など大切な人のいる人や、
社会的地位や財産のある人々が我々の手にかかれば、
そのダメージは計り知れない。一生立ち直れまい。
つまり、ほとんどノーリスクで不特定の人間を悲しみと絶望に
突き落とすことができるのだ。いわば善良な市民全体が人質である。
いくら警戒しようが警備しようが、全員を守りきれるはずも無い。
犯罪は割に合わないと言うが、私はそうは思わない。
奪い取れる幸福と自分が食らうわずかばかりの拘束とを天秤にかければ、
間違いなくやる価値があるものと考えられる。
我々を余り愚弄し、忌避するような真似は慎んだほうがよいと思われる。
世の中には、私や宅間氏のような人間が五万といるのだから。
突然背後から襲う危害に対抗する手段は無い。
我々を怒らせると、平和と安全は失われると言うことだ。
見に覚えがあるとかないとか、そんな事は関係ない。
我々にとって、人を殺す事は雑草を踏みつける事と同じ。
理由も動機もありはしないのである。
ごく平凡な小さな幸せさえ、守りきれなくなっているのだ。
どちらが強い立場にいるかわかるだろう、上流階級の方々?