無理が通れば道理(どうり)が引っ込む。八条通(どおり)がタクシーで渋滞したのも
遠い昭和の話。最終回がはねた後、タクシーで雄琴に直行する豪のものがたくさんおったなあ。
まな板ショーが始まったのは昭和50年代に入ってから。東寺の全盛期は万博のころ。
「人類の進歩と調和」を見た後「人類の珍宝と御命溝」を見て帰りよった。
遠方から来た客(特に関東方面)はびっくりコキンバで「関西はええなぁ」感嘆することしきり。
銭のあるやつは雄琴まで、懐の寒い奴は「五条楽園」のちょんの間と相場が決まっていたようです。
真田丸じゃないが落城はもう目の前。みんなで落城の唄を歌おう。