0800 名無しさん@ピンキー 2017/07/30 00:02:21
日本陸軍は1894年(明治27年)の日清戦争で冬季寒冷地での戦いに苦戦したため、さらなる厳寒地での戦いとなる対ロシア戦を想定し、それに向けて準備をしていた。日本陸軍にとって冬季訓練は喫緊の課題であった。
対ロシア戦は2年後の1904年(明治37年)に日露戦争として現実のものとなった。雪中行軍には青森から歩兵第5連隊210名が、弘前から歩兵第31連隊37名と民間の新聞記者1名が参加した。うち青森歩兵第5連隊が遭難した。
行軍の目的 編集青森歩兵第5連隊は、冬のロシア軍の侵攻で青森の海岸沿いの列車が動かなくなった際
「青森〜田代〜三本木〜八戸」の
ルートを使ったソリでの物資輸送が可能かどうかを調査することが主な目的であった。最大の難所である青森〜田代温泉間の雪中行軍演習が片道約20km、1月23日より1泊2日の予定で計画された[1]。行軍ルートは田代街道、現在の青森県道40号青森田代十和田線である。
返信 ID:EZejJV/I0(1/5)