公判では野本の父親がこう証言している。
「息子は小学校時代から非常に学校の成績がいい子でした。親に叱られたことは一度もない、良い子だったんです」
 小学校時代の恩師も同様の証言をしている。

 1996年2月22日、横浜地裁は無期懲役判決(求刑死刑)。裁判長は判決の後、野本に「君にひとこと言っておきたい」と声をかけた。
「君が約5年にわたって医師として活動してきて救った命よりも、奪った命の方がはるかに重く、救われた患者の喜びよりもはるかに深い悲しみを作った。君のこれからの生き方は、3人の6つの目が厳しく見守っている。それを考えて生涯を送るように」

 1997年1月30日、 東京高裁、控訴棄却。野本は1度は上告したが、取り下げて刑は確定した。