中学の時の体験談
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好きに使ってくれ 中3の冬休み。
叔父に誘われるがまま、車でラブホテルへ行った時の出来事。
私はこの時期、叔父に対し、もうあまり抵抗しなくなっていた。
“またしたいのかぁ。。”…って感じ。
部屋に入るなり、言われるがまま私は服を脱ぎ、裸になると、先にベッドに横たわった。
その時、叔父がショルダーバッグから取り出したのは、いつものコンドームではなく、麻の紐とアイマスク…。
そして、私の部屋から勝手に持ち出した、数本の毛筆。
とても大切にしてる、愛用の物だった。
私が 「???」 と思ってるうち、叔父がいきなり私をうつ伏せにし、“後ろ手”の状態で縛り上げた。
久々に味わう恐怖感!
バタバタと抵抗したけど、やはり無駄。。
気がつけば、足首も締め上げられ、私の動きが止まったところを見定めて、最後にアイマスクをされた。
…で、いつもと少し違う前戯が始まりました。
中2時代の彼女に色々エロいことしたんだが、その感度のよさにはまった。すぐにビクンビクンって逝っちゃうんだよね。乳首なめてるだけでも。クリトリスを筆でくすぐると体をよじらせてた。
ホント、どんなことでもやらせてくれたよな。俺もちんぽを好きにいじらせてやったけど。 中一の時性教育の本を母から渡され読まされた後で、実際に女性の身体の仕組み
を勉強の為に見たいのなら母の身体を教材として見てもいいと言われ、母の身体
を教材として実際にワレメを開いて膣口とか尿道口とか、また膣口も開いて膣口
の内部も観察させてもらったことがある。その後も母から何回か見たら直ぐに飽きる
からと言われ、飽きるまでという約束で週一くらいのペースで見せてもらったが、
結局それから高校を卒業するくらいまで飽きることはなく、結局週一で6年間くらい
母のワレメを開いて見てしまった。
母が35才〜41才の事だった。母は胸は小ぶりであったが、松たか子によく
似ており美人で脚のきれいな女性だった。 歩いてたら知らないオッサンガ話しかけてきた
だれかのお父さんだったかなあ?って適当に返事してたら当時最先端の液晶ビューカムを出してきて
青姦の盗撮を見せてくれた
見つかってぼこられそうななったけど金払って撮影させてもうたんや
そこの墓地や、今から探しにいくんやけどいこか?
で付いていくと…
中学で2000円は大金だけど今思うと安いよな
トラウマ 中学なんて、合宿で泊まった旅館で女風呂覗いてハアハアしてたぐらいだな
ちょうど海水浴シーズンだったから、近くの海で泳いできたカップルが
シャワー代わりに入浴してたからオカズは豊富だった @3年の時、学校1の人気者だった〇子の放尿シーン見たこと
A3年の時、クラスで1ヶ月だけ流行った乳揉みとスカート捲りで優勝したこと
B2年の時、クラス2位の〇子が間違えて上着脱いでブラ丸出しにしたのを俺だけガン見したこと
C1年の時、更衣室で着替えてた先輩が曇りガラスに背中くっつけて裸状態になったこと
D1年の時、初恋の〇子に告られたのにどうして良いかわからず付き合い断ったこと 中2の頃の彼女はエロくて、気軽でまんこ観察させてもらえた。
指でクリを刺激して、何度も逝かせて楽しんだ。
厨3の処女をつるまんにして浴槽のふちに開脚で座らせて、クリいじめて初逝かせ…
てから○○年、今では二児の母で俺の配偶者 小1の頃までお医者さんごっこしてたA子に、「俺、もう射精できるぜぇ」と言ったら、目の色変えて「見せて!」と言ってきた。
久しぶりのお医者さんごっこはエロくて、まんこ見ながらオナニーできて最高だった。
中2の時、同じクラスに超ミニスカでエロい女がいた。
そいつのブログのバトン見つけたんだけど、
初体験が中1で、経験人数40人、3P経験あり、とかすごい事書いてあって、何か興奮した。
その記事はすぐ消されちゃったけど。 中2の時、おっぱい&お尻タッチして喜んでたんだけど、そのタゲに巨乳の子がいた。当時ですでにDはあったと思う。でけぇとか言って顔近づけるとポッチがふたつ。あれ?乳首?と再度確認すると間違いない。なぜ、見えてたか不明だが、思わず摘まんでしまった。 その瞬間、きゃんっと仰け反って後ろを向いてしまった。ヤバい!と思ったが、背後から揉んでいた。今まではちょっとタッチて感じだったが、それとは全く違う、柔らかく気持ちのいい手触りに夢中で揉みまくった。 多分、やめてとか言ってたと思うが、もう何も聞こえなかった。ビンビンになったアソコが彼女の尻の割れ目にフィット。これまた最高の気持ちよさ。何回か擦り付けただけで、ドクドクと発射してしまった。我に返り、うっ、うわーっと何故か叫びながら逃げてしまった。 家に帰っても、思い出して何回もオナった。途中からはもう何も出なかったが、シコリ続けた。翌日、学校に行くのはキツかったが、彼女は僕を避けることなく接してきた。しかし、それ以降僕と二人きりにならないように気をつけていたのは確か。 もうタッチはやめた。友達がたまにその子のおっぱいを触っていたので、その場面を見るとあの時のことを思い出して学校のトイレで抜いた。3年はクラスが変わり絡むこともなくなった。ハタチ過ぎまでズリネタにするほど強烈だった。 彼女と学校からの自転車での帰り道、大雨だったが彼女の家に寄ったら両親が留守だったので
くつろいでいたら彼女がシャワーを浴びにバスルームへ。待ってるうちに魔が差したというか
さっき脱いだレインコートを着てバスルームへ入っていったら全裸のその子があって声を出したけど
おかまいなしにその子を抱きしめてながらDキスの後隅から隅まで洗ってあげて、体を拭いてあげて
下着を付けてあげて、両親が帰ってくる前に速効で帰りました。なんかすごく気持ちよかった 駅近の駐車場で当時の彼女とキスして制服の前開けておっぱい揉み、乳首を舐めたりした。ちなみに彼女のおっぱいはF 中1の時、当時の時間割が
給食→昼休み→掃除→5時間目
なので掃除の時間が終わると全校生徒が教室へ戻る。
その一瞬の隙を狙って、クラスのA子が
男子トイレの小便器で立ちしょんをしていた。
ウチのクラスの掃除場所がトイレ
でもって数日前からA子とその友達のB子が
掃除の時間が終わるとそわそわしているのに気づき
何かたくらんでるな。。。って思ってたら、男子小便器を使いたがっていた。
B子がトイレ前で見張りをして、A子が小便開始
その時に俺がトイレに戻り、A子の横で小便開始
「何やってんの?」「スケベ」「見つかったらどうするの?」
等々羞恥責め(まぁ当時は「いじわる」としか思わなかったが)
このことは誰にも話しをしないで黙っていた 数日後、B子に
「お前さんも立ちしょんしたい?」
「ウチには男子小便器あるからくる?」
「もちろん黙っているよ。この前のこと誰にも知られて居ないでしょ」
と家に誘った。
A子とB子が来て2人でゆっくり?立ちしょんをして
でもって「何でこう言う事をしたいの?」「いつから興味持っていたの?」
等々聞いてスケベ話をした。
「もし他にもしたい人があったら、ウチのトイレを貸すよ」
と2人に言ったら
数週間後。。。C子が「実は私も…」と言い寄ってきた。
もちろん秘密は守ったが
守る代わりに,身体を触らせてもらったり
見せてもらったり
当時20人近くがウチに来たかな? 最後
当時、俺の家は校区外だったから
家の近所で知り合いに見られる。と言うことは少なく
また共働きだったので、5時までに家を出れば
親に見つかることも無かった。
まぁたまに父親が代休で家に居るときが有り
そう言うときは、また次回ってことになったけどね。 男子が私に皮の被った巨大な物を「どーだ」と見せて自慢してきたのです。
私は思わず「キャー」と手で目を覆ったのです。
恐る恐る指の間から見たのです。
安心しました、それは竹の子だったのです。 たいして可愛くもないがノリがよくて男子とも結構楽しく会話できる女子ってどこにもいると思うが、
そんな子が放課後、ブルマをTバック状にして「お金ちょうだいよ!」と言いながら尻を見せつけてきた。
気を抜いたらうっかり立ってしまうところだった。 とんでもなく乱暴な女がいたんだけど(男子の半分ぐらいぶっ飛ばしてる)
俺らの言うことは良く聞いてくれて、あの子のスカート捲ってきてとか乳揉
んできてとか頼むと目の前でクラス1可愛い子のケツ見せてくれたりした。 部活の美人の女先輩にまんこ見たことないから見せてほしいって必死に頼んだら見せて貰えた。
ほんとに全部、見たいように見せてくれた。
お礼に何回も射精を見せてあげた。 中1の春、まだ射精できる男子は少なくて、何人もの女子から見せてくれと頼まれた。
俺は可愛い女子なら万個観察と交換で見せてやった。
先輩も含めて20人以上の女子の万個を観察出来た。万個の形や色って個人差大きいんだなというのが正直な感想。
スゲー充実した中学生性活だった。 小学校の低学年の頃から、週末には母親の脚とお尻のマッサージをやらされていた。
中一の夏休みから脚とお尻にスキンクリームを付けてマッサージをやるようになり、夏休みの間は毎晩寝る前に
母の下半身はスッポンポンの状態でマッサージをやるようになった。
母はお風呂上りに小さいバスタオルを上半身に巻いて僕の部屋に来たので、ワレメはいつももろ見えだった。
うつ伏せでスキンクリームを付けてからマッサージを行なったが、お尻の側からワレメもクリームをつけたので
マシュマロのようなワレメの触り心地を毎日指であじわうことが出来た。
またワレメにクリームを付ける時に、クリトリスにも触れていたようで、クリトリスに触れる度に母はピクリと
下半身を動かして反応したが、母から逆にワレメもお尻と脚と同様に揉むように言われた。
当時母の買っていた婦人雑誌とかの特集でクリトリスについて多少の知識はあったので、上手くクリトリス付近を
軽く揉んだが、母はクリトリス付近を揉まれることを楽しんでいることがわかった。
ワレメを揉むようになってからは、ふくらはぎとお尻とワレメだけを揉むようになった。 >>68
中一の時母親は36歳で山本梓に似たスタイルのいい美人だった。
またクリトリスより下は無毛でスジマンではなかったが、綺麗なワレメをしていた。 >>66
ワレメを開いてお母さんのワレメの中を見たことはないの? >>70
中一の夏休みからは母親の下半身をスッポンポンにしてスキンクリームを付けてマッサージを
やりだした為、お尻の側からではあるがワレメとワレメからのぞいているビラビラ(小陰唇)は
丸見えになっていた。
またマッサージをする時にワレメがもろ見えになるように母親の両脚を開いて、脚の間に身体を
入れてマッサージを行なった。
両手でワレメ付近を左右に揉むとワレメは開き、ワレメの内部も見えるようになった。
但しお尻の方から開いていたので、ピンク色のワレメの内部の壁と少し(5〜8ミリ程度)開いている
膣口だけであった。
尿道口は見えていなかったが、膣口はいつももろ見えだったので十分満足させてもらった。
中一から高三まで夏休みは毎日またそれ以外は週末に母親のマッサージをしていたが、母のお尻とマシュマロのように
軟らかいワレメの両側のお肉(小陰唇)を好きなだけ触ることが出来、またワレメを開いて膣口も思う存分見ることが出来
母親のマッサージをやるのが無茶苦茶楽しみだった。 >>71
下から2行目の(小陰唇)は(大陰唇)の間違いでした。 >>73
ゴメンナサイ!
母にマッサージをやっていた時のことを考えながら書いていたので、ついついその時の情景を
思い出して興奮してしまっていた。 >>71
お尻と大陰唇とでは、どちらのほうが触り心地がいいの? >>75
お尻の触りごこちはかなり気持ちいいが、マシュマロのようなワレメの両側のお肉(大陰唇)
の触りごこちは格別なものであり甲乙付けがたいが、無理に順番をつけるとワレメの両側の
マシュマロのような大陰唇のほうかな・・・ 1の終わり。
その頃の私は、今よりもさらに体が細く、ヒョロッとした感じ。
肥満体型の叔父にしてみれば、体重が半分ぐらいの私を押さえつけることなんて、容易なことだったと思う。
家の中で襲われた。
私なりにかなり抵抗したし、ずっと泣き叫んで拒否したのに…。
叔父は圧倒的な力で私をねじ伏せ、唇を奪い、激しく舌を絡ませてきた。
初めてのキス。
その気持ち悪さ…。
キスのショックで呆然として、一瞬気が遠くなった。
気がつけば、すべての服と下着を剥ぎ取られてしまってた。 叔父はしばらくの間、私の胸を中心に、全身を舐め回した。
もちろん、私は抵抗を続けていたが、悲しいかな、やがて全身に力が入らなくなってしまった。
いわゆる、“ギブアップ”。
後は、もう叔父のやりたい放題…。叔父のペニスを受け入れざるを得なかった。
大きく膨れ上がったペニスが入ってきた時、身体を真っ二つに切り裂かれた感覚に見舞われました。
そして、すぐに襲ってきたのは、脳天を突き抜けるような痛み。
あまりの激痛に、幾度も幾度も“いっそ死んでしまいたい”とさえ思ったほど。
それに、叔父はお相撲さんみたいな肥満体。
全体重が華奢な身体の私にのし掛かったので、本当に押し潰されると思いました。 なだめられたり、すかされたり…で、叔父との肉体関係はしばらく続いた。
おとなしかった私は、悩みつつも、結果的にはそれに従っていた。
家やラブホなんて時もあったけど、車ですることが多かったな。
叔父にしてみれば、うちの親にバレないようにするための工夫だった。
イクことを教えたのも叔父だったけど、心が満ち足りることは一度も無かった。
多い時…というか、親に見つかるまで、週に2回以上はセックスしてた。
叔父は、よく学校の帰り道に私を待ってた。
車に乗せられ、家からさほど離れていない裏山の脇道みたいな所へ連れて行かれた。 イクことを知ったのは、セックスを始めてから1年以上経ってからだったと思う。
いったん覚えると、いつも必ずイクようになってしまった。
嫌だ嫌だと思いながらも、身体が勝手に反応する…。
“女のカラダって、一体なんやねん。。”
と気持ちは余計にブルーになり、自分の身体を呪ったこともありました。
叔父は最初の時を除き、大抵は避妊してました。
さすがに、私が妊娠するのは困ると思ってたのでしょうね。
車では、コンドームを使ってました。
でも、ラブホや家の時は、イク寸前にペニスを引き抜き、私のお腹のあたりや口の中に出しちゃうことも多かったです。
いま振り返れば、こんな方法でよく妊娠しなかったものです。。 親に発覚する少し前…。
叔父はよく「家出して、ゆりかと2人で暮らす」と言ってた。
事実、県外へ仕事を探しに行くということも実際にやってた。
叔父が私を抱いている時は、「お前を一生離さない」と、いつも口癖のように囁いていた。
「透き通るような、ゆりかの肌がたまらない」とも呟いていた。
それが“愛”なのかどうかはよく分からない。
その頃の私は、物を考える気力をすっかりなくしていて、
「なんでも、どうでも、もうええわ。。」
としか思ってなかった。
あの時、親に見つかって2人の関係が断ち切られなければ、大変なことになっていたかもしれない。 叔父に裸にされ、抱き締められると、いつも悪寒がした。
キスをされ、舌を絡められると、必ず吐き気をもよおした。
でも、でも…。
いざ、セックスが始まってしまうと、もうダメだった。
ペニスの抜き差しが激しくなればなるほど、私の頭の中と身体は
“気持ちイイ!!”
が支配した。
それは、叔父が射精を終えるまでの間、私のほうが何度も何度も「絶頂」に達してしまうほどの快感だった。
演技する気はなかったけど、イク時はどうしても絶叫せずにはいられなかった。
叔父とセックスした夜は、そんな自分が情けなくて、悔しくて、いつも泣いていた。 叔父に裸にされ、抱き締められると、いつも悪寒がした。
キスをされ、舌を絡められると、必ず吐き気をもよおした。
でも、でも…。
いざ、セックスが始まってしまうと、もうダメだった。
ペニスの抜き差しが激しくなればなるほど、私の頭の中と身体は
“気持ちイイ!!”
が支配した。
それは、叔父が射精を終えるまでの間、私のほうが何度も何度も「絶頂」に達してしまうほどの快感だった。
演技する気はなかったけど、イク時はどうしても絶叫せずにはいられなかった。
叔父とセックスした夜は、そんな自分が情けなくて、悔しくて、いつも泣いていた。 叔父との肉体関係は嫌だったのに、最後のほうになると、
“死ぬほど嫌”だとは思わなかったんじゃないかな?…と、当時の自分を振り返ってます。
いつも心はブルーでした。
でも、叔父のペニスで膣の中を掻き乱され、いったんイッてしまうと、心のどこかで2度目、3度目の“次の波”を期待している自分がいたのです。
そんな時のゆりかは、「妊娠してもいい」とは思わなかったけど、「出来ちゃっても仕方ない。。」とは思ってました。
叔父の行為に対する「容認」の反応は、最後までしませんでした。
少なくとも、叔父を抱き返すようなことはやらなかったつもりです。
正直言って、何度も何度もイッテる時に、
“何かにしがみつきたい!”という欲求にかられたことはあります。
だけど、いつも心の底で、“叔父の背中に手を回したら、オシマイ”という念は持ってました。 小学生の時フジテレビの山崎夕貴に顔が非常によく似ていた母と毎晩一緒にお風呂に入っていた。
母は陰毛が薄かったのでワレメとワレメから少し出ていたビラビラ(小陰唇)がもろ見えだった。
中学生になるとほとんど一緒に入らなくなったが、中一の夏頃に母が父と別居すると同時に
週一くらいのペースで母から身体を洗ってあげるということで再び一緒にお風呂にはいるようになった。
お風呂で母の丸見えのワレメを見るとムスコがビンビンにたってしまい、母にその立っているムスコを
握って洗われていた時に射精してしまったことがあった。
母は「健康な証拠だから」と笑っていた。
その後も毎週1回くらいのペースで母とお風呂に入ったが、毎回ムスコを洗いながらビンビンに立たされて
抜かれてしまった。
今から考えると当時母は35〜36歳くらいで女ざかりだったので、一緒にお風呂に入って僕のムスコを
見たり触ったりするのを毎回楽しみにしていたようだった。
この関係は僕が大学を卒業するまで続いたが、毎回ギブアンドテイクで母のワレメを開いて見たり触ったり
させてもらった。
今から考えるといい思い出である。 中2の時、初Hが神社での青姦だった
夜会う約束をしていたのだが当時は携帯電話もなく彼女の家も曖昧で近くの神社を集合場所にした
その日は台風が近づいており雨と風が大変強く俺達は境内で身を寄せ合った
数時間たわいもない話をしていたら下ネタが多くなりエロい雰囲気になっていった
俺は勢いでおっぱいを見せてと言ったら彼女は渋々了承した
調子に乗った俺は揉んだり吸ったりした彼女も満更の表情
段々エスカレートしていきついには下に手がいった
彼女はここはダメと言ったが俺は引き下がらなくジャージの上からこすったりした すると彼女の息遣いが荒くなっていくのを感じた
さらに調子に乗った俺はパンツを脱がせて直接いじる事にした
あまり抵抗はされなかったが、いよいよ流れで挿入する事になった
暗くてよく見えなかったが指先の感覚で挿入を試みた
彼女は痛いからゆっくりねと応じる俺も始めてで包茎で先がデリケートな状態だったので痛かった
程なくして全部入ることに成功しピストン運動を開始した
彼女が「あぁっあぁっ…んっんっっ…」を繰り返す
俺は5分も立たないウチに逝ってしまった
そのまま中に出した
抜き終わると彼女のあそこにうっすら血が出ていた
当時処女膜を破ると血が出るなんて知識もなかった俺はテンパってしまっ 俺は救急車を呼ばないといけないと直感した
彼女は笑いながら女は初めてだと血が出るんだよと教えてくれた
半信半疑だったがなんとか平静を取り戻した
後日俺は数ヶ月かけチンの皮を剥き脱包茎になった
先も乾き始めた頃、またHしたいなぁと思い
チャンスを伺った 出○智○はいい女だった。
いつでも、中出しOKだったな! チャンスと言うか彼女と俺はそれ以来、外でやるのが当たり前みたいな感じで
学校のキャンプ授業の時や部活終わったあとの部室、学校近くの雑木林などでやりまくった
放課後のトイレでもやった、1度家に呼んだりもしたがやらなかった
なぜかエロ本を彼女に盗まれて学校でからかわれた 中学の時、『男と女ではどちらがエロいのか?』という論争で盛り上がってしまい、5人の女子と俺一人が放課後に白熱の議論を展開したことがある。
最初は遠慮がちに、『ああでもない、こうでもない』と差し障りのないことを言い合っていたのだけど、
「やっぱ男の方がエロいんじゃないかな?」と俺が切り出したら、「いや、女の方がエロいに決まってるよ!」と強い口調で反論される。
「男は貯まる物があるから、嫌でも出さないといけないしね」と言ったら、
「女は気持ちいい場所が沢山あるんだよ」と返ってくる。
「男は体の外に出っ張ってるから触りやすいしね」と言ったら、
「あんたにはこの胸が見えないの? しかも女子は体の中に気持ちの良いポイントがあるんだからね」と…。
結局女子の方がエロいということになり、負けたような、それでいて何となく勝ったような不思議な決着をしてしまった。
翌日「昨日の話をオカズにしたでしょ?」と言われて答えられずに困ってたら、
「あたしはオカズにしたよ。ほら、女の方がエロいでしょ?」だって。
何というか負けて良かったと初めて思った瞬間だった。(´д`)ハァハァ >>97
不思議な論争だな
普通なら女子はそれを隠す方向で論争になったりするんだろうが
堂々と主張するとは >>96
確かに・・・・誘導したわけでもないのに結果的に(*´Д`)ハァハァな方向になってんだから良かったな
話だけじゃなく触らせてくれたりしたらもっと良かったのにな 中学生になった幼馴染みのM子の事を"デブ"呼ばわりしていた。
ある時、たまたま二人っきりになって、涙目で"私の事、デブって呼ばないで!"って訴えてきた。
本当はデブだとは思ってないけど、最近胸が大きくなってきたのでちょっと
気になって仕方がなかったって話したら、"触りたいの?"って聞き返してきた。
黙って頷いたら"最初から言えばいいのに。○○くんだったら良いよ"って言われて、生で揉んだり、舐めさせてもらえた。 中学入りたての頃の下校中に犬連れたミニスカート姿の
20歳くらい(だったと思う)の女性がこっちを向いた状態で
しゃがみこんでいてモロにパンチラしていた。
時々こちらをチラチラ見るからオレも見てないふりをしながら
ガン見してたんだけど、段々と足を開いてくれるから股の部分は
完全に丸見えで我慢できずにボッキしてきてしまった。
チンコが引っかかって痛いからポッケに手を入れて上向きに直している時に
女性も知ってたらしくて「君〜、おちんちん、大きくなっちゃった?」とw。
オレはやばいと思ったから「スイマセンでした〜」と意味なく謝って逃げた。 親戚のオレと10歳離れた長女の方が出産した時にうちへ来たんだけど幼少の頃はよく一緒に遊んでたし
その時も普通にしゃべったりもしてたんだけど赤ちゃんに授乳する時にオレの前でオッパイ丸出しで
飲ませていて、当時中3だったオレは目のやり場に困ってしまった。
子供ながらにこういうのはエロではないから別に良いんだというのは分かっていても
どうにも気まずくて不覚にもボッキしてきてしまいチンポジを直さなくてはどうにも痛いから
気づかれないようポッケに手を入れて直したくらい
しかもオレの位置からだとデニムの短めなスカートの奥がチラチラ見えていたのもあり多分バレてたと思う 屋上や図書室で授業中にバカップルがヤッテたの見てたぜ 中学生時代に何人かの女子にまんこ見せてもらったけど陰毛の密度が個人差激しかった。
陰毛が濃すぎるとまんこそのものが見えにくいから薄毛の女子には何度も見せてもらってた。
俺もチンポ見せてやってたんだけど、勃起を見られるのがスゲー恥ずかしくて益々勃起した。 中学時代に女子にお願いして処女膜を何人かに見せてもらった。
ネットで調べた通り一面の膜じゃなくて穴が開いてた。
お礼にチンポを好きなようにいじらせててあげたんだけど、全員が射精を見たがって、必死に擦ってくれた。
中学生だとまんこが人によって違ってきてた。特にクリと小陰唇の大きさと色。
ずっとクリをいじってたら急に体をよじり出してビクーンってなって逝っちゃう女子もいた。 中3の3学期に転校してきた伊藤さん、ヤンキー達に囲まれて教室でパンツ脱がされマンコ披露させられてた。10年前の日吉中。 中学時代に3人の女子のマンコ観察したんだけど、小陰唇が開いてて膣が見えてる女子と、小陰唇がぴっちり貝みたいに閉じてる女子がいた。
これってやりまんだから開いてるって訳じゃなくて生まれつきなのかな? そりゃおまえみたいに小さくて被っているものもあれば大きくてずる剥けのもあるだろ
そういうことだよ 何人かの女子と小便出すのを見せあったんだが、ワレメを指で開いて尿道口を露出してから小便を出す女子と、何もしないでそのまま出す女子がいた。
どっちが主流なんだろう? 中学の途中までまんこ想像しながらオナニーするのが普通だったけども一度女子にチンポ見せてやってからは女子にチンポ見られること想像しながらオナニーするのも普通になった。
親しい女子に聞いてみたら、女子の場合は逆で、オナニーするときは元々自分のまんこ見られる想像が普通で、チンポや射精を見てからはチンポを想像することが加わるらしい。
で、男女ともにセックス覚えてからは勿論セックスしてる想像が加わるんだろうけど。 修学旅行で旅館に泊まった朝、洗面所で顔を合わせた女子に言われた。
「ねえ、男子って朝はおちんちんが固くなってるんじゃなかったの?」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています