相撲と女人禁制がいつ結びついたのかは不明ですが、死や血をけがれとして避ける思想は、江戸時代に強まりました。
徳川綱吉が出した「服忌令(ぶっきれい)」がきっかけです。
近親者の死に際し、喪に服する期間を定めたもので、殺生を禁じた生類憐(しょうるいあわれ)みの令と表裏をなす政策でした。
 朝廷や神社を除き、日本ではそれまで女性を差別する思想は普及していませんでした。
しかしこの令以降、出産や月経も「けがれ」とみなす考え方が武家だけでなく、職人や町人、農家にも浸透してしまいました。