米国の捕鯨船が食料になるウミガメがいるかを調べるために偶然この島に寄り、救出されます。
捕鯨船のホイットフィールド船長は航海の末、万次郎を米東部マサチューセッツ州の自宅に連れて帰り、我が子のように育ててくれたのです。
通っていた教会が、人種を理由に万次郎を別の席に座らせようとすると、偏見なく迎えてくれた教会に宗派を変えたほどでした。
 船長のもとで、今も校舎が残っている小学校に16歳で通い始め、さらに航海術や測量術、数学など高度な教育を上級の学校で受けさせてもらいました。
そうした知識を生かして、捕鯨船に乗り、仲間の投票で、重要な地位にもつきました。
1849年には、南米を経由し、2丁拳銃を携えて、ゴールドラッシュで沸き返るカリフォルニアの金山に行き、日本に帰るための資金を作るという体験をしています。
運だけでなく、チャンスを生かし、漂流民から、米国社会でも、世界の海でも活躍する人間に成長させてもらったということでしょう。