「今の熊本城があるのも“お城を大切にしたい”という人々の思いと努力があったから。その気持ちを大事にしていきたいです」
 
そう語るのは、熊本城の修復作業に奮闘する「熊本城調査研究センター」の木下泰葉さん(27)。

昨年4月14日から、震度7などの激震が相次いだ熊本地震。
一連の地震での死者は50人。地震後体調を崩すなどした「災害関連死」を含めると200人を超える犠牲者を出した大地震から、まもなく1年。
市民のシンボルである熊本城は、いまだ痛ましい姿を見せている。
 
「市民の皆さんもお城を見るたびに心を痛めていると思います。(加藤)清正公がわずか6年で建てた熊本城は、今は国の重要文化財。文化財の復旧は“元どおり”が原則です。
急いで作業することもできますが、価値を損なうことなく修復するためには、時間がかかってしまうのです」
(木下さん・以下同)
 
木下さんは福岡県久留米市出身。
熊本大学で歴史学を専攻し、4年前から熊本市役所の専門職員として、熊本城の歴史についての調査・研究を担当してきた。
いわば熊本城が“職場”だ。
 
「震災直後は市民の生活再建が最優先。城の復旧は、どうしても後回しになると思っていました。
しかし、地震の数日後には、市民の方々から『早く城を修復してください』、『城の復旧支援金の口座を作ってほしい』という声が上がったのです。
お城が本当に熊本市民に愛されていることを感じました」
 
そんな木下さんが復旧作業のため熊本城に入ったのは、震災から1週間後のこと。
 
「4月16日の本震で、天守閣から大量の瓦が落ち、重要文化財の東十八間櫓は石垣ごと倒壊。熊本城の石垣は全体の3割で修復が必要なほど崩壊していました……。
無残な姿に涙が止まりませんでした。そして、熊本の人たちが元気になるために、私ができることはあるかを考えました」
 
今回の熊本地震で、熊本城は国の重要文化財13棟が被災、石垣は53カ所も崩壊するなど、大きな被害を受けた。
熊本の人たちに笑顔を取り戻すため、彼女がたどり着いた答えは“歴史に学ぶこと”だった。
 
「清正公の手紙や家老たちの日記といった古文書、宮内庁に所蔵されている史料などから、城の被災履歴を調べました。
熊本城は、1625年の地震で天守が被災して以来、明治22(1889)年の大地震までに何度となく被災しては修復されていたのです。
それだけ人々に愛され、修復されてきた城であることがわかったとき、“また再建できる!”と励まされました」
 
小さいときから歴史に興味を持ち、休日には全国の城巡りをしていた“歴女”の木下さん。
だが、当分は熊本城に“尽くす”つもりだ。
 
「天守から落ちて割れた大量の瓦の裏には、それを寄進した方の名前が書かれていました。熊本城が多くの人たちの思いによって守られてきた証しですよね。
今は、恋愛や結婚より、寝ても覚めても熊本城のことばかり。完全に修復するまでには20年以上かかるかもしれませんが、熊本の人たちが城を見上げて、笑顔になってくれるまで頑張っていきたいです」

以下ソース
http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/social/28527

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