【芸能】貞淑美女タレントの性白書 美保純 ピンクのカーテンに隠された奇跡の五十路女性器を剥ぐ![04/18] [無断転載禁止]©bbspink.com
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0001逢いみての… ★2017/04/18(火) 00:04:03.42ID:CAP_USER
「大晦日の『紅白』の司会に大抜擢なんてことになれば面白いんですけどね」(芸能関係者)

4月スタートのNHK新番組『ごごナマ』で俳優・船越英一郎とともにコンビを組む女優の美保純(56)。

「2人は月曜から木曜までの担当ですが、業界内からは早くも“NHKはチャレンジャー”との声が多く上がっています。
これまで安定した数字を残してきた『スタジオパークからこんにちは』をブッ壊した上に、“暴言キャラ”の美保の起用ですからね。
そう見られても仕方ありません」
(芸能記者)

放送前に行われた会見で美保は、

「下ネタは、“寸止め”に慣れているから大丈夫です。“アレのことか!?”と分かるくらいに信号を送りたいと思います」

と余裕の笑顔で抱負を述べていた。

「そうしてくれたらいいんですけど、“生の情報番組”で、それが本当にできますかね。
裏には宮根誠司の『情報ライブ ミヤネ屋』や、このところ『ミヤネ屋』に肉迫して来ている『ゴゴスマ』、そして、安藤優子キャスターが仕切る『直撃LIVEグッディ!』が控えていますから、数字(視聴率)を取ることは容易ではありません。
しかも、美保純という“爆弾”を抱えているのですから、スタッフの気苦労は想像を絶するものがあると思います」
(プロダクション関係者)

“暴言キャラ”は、平日夕方の情報番組『5時に夢中!』などで遺憾なく発揮されてきた。
例えば、女性ならではの“脱毛”の話題に触れると、

「私も脇からいって、下も気になる。やっぱりショーツが小さくなるにつれ、カットするのが面白くなっちゃうんですよね。
自分でお扇子みたいな形にするのか、味付け海苔みたいにするのか…自分でイメージしていくんです」

とアケスケトーク全開。

「いやいや、こんなのはまだ序の口です。“マネージャーが、売れない出だしのグラビアアイドルを自宅に襲いに行っていた”“私がそのマネージャーを全部クビにしてたの”などと、芸能界の“枕営業”についても言及しちゃうんですからね。
これに比べたら、『あさイチ』の有働由美子アナの“下ネタトーク”などカワイイものです」
(芸能レポーター)

その美保純は1960年8月4日、静岡県静岡市生まれの56歳。

「芸名は羽衣の松で有名な“三保の松原”にちなんで名付けられました。
本名は曽根ちよ美。父親は木工家具職人。3人兄姉の末っ子として育ちました」
(芸能ライター・小松立志氏)

3歳上の姉は、長女らしく徹底して祖母に鍛えられ、家事や家業を手伝わされたが、末っ子の美保は、すっかり放任されて育ったという。

「中学時代には早くも細眉にして、髪も自分でシャギーにカットしていたそうです」
(同)

それでも高校は奇跡的に?地元のお嬢様学校に入学。

「しかし、水が合わなかったのか、たった3カ月で退学してしまったそうです」
(テレビ局関係者)

ここからしばらくはバイト三昧の日々。
スーパーを手始めに、てんぷら屋、甘栗屋、ジューススタンド、ハンバーガーショップ、デパートの地下食品売場などで働いたという。
そして18歳になったとき“高卒”と学歴詐称をして名門デパート静岡店のメーカー派遣店員となり、給料も大幅にアップしたが、東京・六本木で催されたディスコ大会で、なんと“ディスコクイーン”に輝いたのだ。

「夜な夜な、ディスコで憂さ晴らしをしていたんです。度胸試しと思って出場したら、クイーンになった。しかし、そのニュースが会社に知れ渡ることとなり、“風紀を乱す”という理由でクビになってしまいました」
(前出・芸能記者)

続く

以下ソース
http://wjn.jp/article/detail/4551121/
http://wjn.jp/article/detail/3581802/

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0002逢いみての… ★2017/04/18(火) 00:04:21.27ID:CAP_USER
とはいえ、これが美保にとって大きな転機となった。

「とりあえず東京に出てみようと、ディスコ大会で優勝できたように、行けばきっと何とかなると思ったそうです」
(前出・テレビ局関係者)

それで、地元のクラブで3カ月間“バニーガール”をやって約60万円を貯め、両親を説得して上京。広告代理店で受付の仕事をするようになった。

「そこで芸能プロの社長にスカウトされたのです。
すぐロマンポルノの“現場”に連れて行かれて説明を受けたようですが、脱ぐことに抵抗感はなかったそうです」
(映画ライター)

こうして1981年、映画『制服処女のいたみ』で主演デビュー。

「当時、1歳サバを読み19歳ということでした。
マネージャーから“10代でヌードになるのと、20歳でなるのとではインパクトが全然違う”と言われて、そうしたようです」
(前出・芸能関係者)

T158センチ、B82・W57・H83というピチピチサイズだった美保。

「本人は自分のおっぱいについて“幅はあるが高さに問題がある”と話していましたが、あの“美乳Dカップ”には随分“お世話になった”ものでした」
(ベテラン芸能記者)

そして、翌1982年に公開された『ピンクのカーテン』で美保は大ブレイクする。

「これも主演映画でした。
兄妹の“禁断の関係”をテーマにしたこの作品では、無邪気な妹役を演じた美保が中年男とラブホ密会。
“即ハメ正常位”に“腰振り騎乗位”で我々の股間を熱くさせてくれました」
(前出・映画ライター)

この作品はパート3までシリーズ化され、美保はブルーリボン賞、ゴールデンアロー賞、日本アカデミー賞でそれぞれ新人賞を獲得した。

「翌年には一般作となる『四畳半色の濡衣』(東映)でも濡れ場を披露しました。
あどけなさの中にキラリと光る色気があって、脱ぎっぷりもよかった」
(映画製作関係者)

しかし、その後は映画『男はつらいよ』(松竹)シリーズにタコ社長の娘・あけみ役として出演するなど“全国区の女優”となったものの、ハダカは封印してしまった。

「その頃、交際していた彼氏から“脱ぐな”と言われて脱がなくなったという説が最も有力でした。
また、彼氏が撮ったと思われるプライベートなヘアヌード写真が流出したこともありました」
(写真誌関係者)

その後、しばらく低迷していた時期もあったが、2013年、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』で主人公を温かく見守る先輩海女を演じたことで、再びスポットライトを浴びるようになった。

「同時に、バラエティーやトーク番組でのぶっちゃけぶりも人気に拍車をかけました」
(前出・テレビ局関係者)

その最たる物が、件の『5時に夢中!』だったというわけだ。

「やはり、レギュラー出演していた作家の中村うさぎ氏とAKB48をもじった閉経前後の女性を対象とした『HKB48』を結成したりと、のびのびトーク全開で人気を集めました。
ただ、今度のNHKでは、ここまでできないでしょうし、もし、やってしまったら“放送事故”になってしまいます」
(民放テレビ局スタッフ)

“忖度”などせず、頑張れ美保純!!

終わり
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