【歴史】偉人たちの処性術 室町八代将軍・足利義政の側室は四十人超え![04/21] [無断転載禁止]©bbspink.com

1 : 逢いみての… ★2017/04/21(金) 01:14:10.25 ID:CAP_USER
足利義政、今、評判になっている応仁の乱の時の将軍です。
恐怖政治を行い、臣下の守護大名に殺された六代将軍義教の三男として生まれました。

兄で七代将軍であった義勝の早世で、十七歳で八代将軍に就任します。
政に興味を示すことなく、風流や文化を愛した軟弱将軍と評価されています。

そんな義政、性に関しては早熟で貪欲でした。
乳母であった今参局(いままいりのつぼね)によって筆下ろしを経験し、十歳で今参局を側室とします。
十歳上の今参局を寵愛し、今参局は幕府の人事や政にも口出しするようになりました。
もっとも、義政は今参局以外にも数多の側室を置きましたから、今参局が義政の信頼を得たのは性戯だけではなかったのかもしれません。

彼女はお今と通称されました。
政における義政の側近、烏丸資任、有馬持家と共に、「三魔」と恐れられます。
おいま、からすま、ありま、三人に、「ま」がつくことからつけられたあだ名です。

今参局の権勢に陰りが生じたのは義政が正室を迎えてからです。
正室とは日野富子、後に北条政子、淀殿と共に日本三大悪女に数えられる女傑でした。
富子は京都の七カ所に関所を設けて関銭を徴収し、得た銭を応仁の乱で敵対していた東軍、西軍双方に貸し付けて莫大な富を得ました。
私腹を肥やし、名前の如く富を蓄えたのです。

輿入れして五年後、義政との間に男子を産みましたがすぐに死亡してしまいました。
すると今参局が呪詛したからだという噂が流れ、今参局は琵琶湖の沖ノ島に流された挙げ句、富子の放った刺客によって暗殺されました。

今参局の死後、義政は富子と不仲になり、以前にも増して政を顧みることなく、大勢の側室たちとの宴に高じる日々を送ります。
負けん気の強い富子は後土御門天皇と不倫をしました。

事実は後土御門天皇が富子の侍女に手をつけたということだったのですが、天皇と密通したという噂が流れるほど、二人は不仲、富子は悪女と評判だったのです。

生涯に亘って義政は四十人を超える側室を持ったそうです。
軟弱将軍のイメージがありますが、軟弱では片づけられない性豪ですね。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/5817568/

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2 : 夜更かしなピンクさん2017/04/21(金) 09:04:46.87 ID:3vwTPdYh
まあ自分の屋敷から10キロも離れて居ないところで戦争してても止められない無力な将軍としては宴会やるか女やるか屋敷でも作る以外する事ないよな。