【夫婦】妻や母になった人は自己犠牲が当たり前?なぜ夫に「子供を預かってもらってる」「働かせてもらってる」と気を遣うのか[04/25] [無断転載禁止]©bbspink.com
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0001逢いみての… ★2017/04/25(火) 01:55:55.23ID:CAP_USER
結婚前、たとえば男女が交際や同棲をしている状態なら、「彼氏(彼女)なんだからこうあるべき」という決めつけは、社会的な規範というより、カップル間のルールとしてしか存在しない。
たとえば、夜通し飲んでいようが、同性の友人と海外旅行に行こうが、周囲から「彼氏(彼女)が居るのに何やってんの!?」なんていう批判は、「浮気」という懸念が絡まない限りほとんど出ないだろう。

それは、男も女も、それぞれが自分の世界を持って生きることを許されているからであって、「朝帰りが多すぎる」とか「金遣いが荒すぎる」などという批判は、当人同士(カップル同士)や内輪の事情を知る近しい友人などが個人的にすることが通常。
「一般的な共通規範」として世間から叩かれることはあんまりない。

これが、「結婚」という節目を挟むと少しずつ事情は変わってくる。
夜な夜な飲み歩いていたり、頻繁に朝帰りするようなことは、“家庭を顧みない行動”として「結婚してるのに何やってるんだ」と、世間一般から非難の対象になる。
長年の同棲期間を経て結婚したカップルからすれば結婚した途端に変わる何かがあるわけではないのだが、一般論としては「結婚したら自分の世界より家庭を優先させる」という考えが根付いているから、当人たちからしたら余計なお世話なことを周囲に口出しされることも多いかもしれない。

「家庭」とは何だろうか?
定義、家族観はそれぞれだし、各自違って良いと思う。私の場合は、苗字を一緒にして衣食住を共にし、金銭的な部分も含め互いの生活を担い合う。つまり「運命共同体」となる……シンプルにこんなイメージを持っている。
夫と独身時代に4年の同棲生活を送った私にとっては、結婚を機に変わったことはひとつだけ、「苗字を一緒にする」ということ以外は何もなかった。同棲段階で衣食住を共にし互いの生活を担い合っていたからだ。

結婚・家族に関する社会規範で代表的なもののひとつに、「夫が妻を養う」というものがある。
男性自身、「一人前に稼いで妻子を養えるようになったら」を結婚の条件として自ら(とその彼女)に課している人は多い。
結婚するとなった時に男性がフリーターで貯金もない状態であれば女性の両親は反対しがちだし、また、女性がずぼらで家事一切できませんとくれば、男性の両親は心配しがちだ。
いやいや、同棲期間は十分それで生活してこれたハズなのに、入籍でいきなり「条件」が加わるのはなぜ……?
「夫」は家族のために稼ぐのが仕事だし、「妻」はそんな夫を献身的に支えるのが仕事……専業主婦が主流だった時代の考えが、今なおこの社会にこびりついているからだろう。

同棲と違って、「結婚」=「子をもうける」ものだと認識されているから、「夫がフリーターなんてあり得ない」「妻がごはんをつくれないなんてあり得ない」というのもある。
子供が産まれれば、生活費など負担が増えるのは当たり前だし、ましてや学費など大きな出費も待っているのだから、我が子には高校〜大学へ進学してほしいと考える人なら、金銭的に余裕が出来てから結婚&子作り、と思うのは普通。
古くからの考えに基づけば夫は家族全員を十分養うだけの収入がなくてはいけないし、妻はそんな夫の健康面をサポートしながら子育てを含め住み良い家を維持しなくてはならない。となれば夫に収入がなくても困るし、妻に家事スキルが全くなくても困る。

しかし何度もこの連載で繰り返してきたけれど、ダブルインカムの時代だ。夫一人だけの収入で家族全員を養い、子の学費を捻出することは容易ではない。
だから妻も仕事を辞めない、あるいは出産で退職してもパート等で働き続け、夫だけの手取りなら月23万の家計を月33万、はたまた月50万といった具合に増額したりしている。
だから現実的には、「男側の収入が少ないから結婚すべきでない」の常識を当てはめてしまうと、多くの男性が「結婚すべきでない」対象になってくる。
とにかく稼げ、というプレッシャーがのしかかる既婚男性は気の毒ですらある。

続く

以下ソース
http://mess-y.com/archives/45061

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0002逢いみての… ★2017/04/25(火) 01:56:23.38ID:CAP_USER
一方で、私は、それでも既婚男性には自由があるように見える。
以前にも書いたが、深夜の居酒屋で盛り上がっている子持ちの男性はウヨウヨいるが、同じく子持ちの女性はほぼ見かけない。
いたとしても女性には「今日お子さんは?」とか言う投げかけがどうしてもセットでまとわりつく。

テレビでも、深夜の飲食店などで一般人へインタビューをする企画がニュースやバラエティで数々映し出されているが、対象が男性だと決してそんなことはないのに、家庭を持った女性が集団で盛り上がっていると「今日ご主人は? お子さんは?」と、お決まりの質問。
まるで、家庭を持ち子を産んだ女性は、本来なら深夜こんなところでハメを外しちゃいけないかのようだ。
「父親が家で子供と寝ていて、母親が居酒屋でくだをまく」って、そんなに風変わりなことだろうか?

つい先日も『マツコ会議』で30〜40代の子育て世代の女性が数人で飲んでいたところにインタビューマイクが向けられた。
彼女たちは小学生の子をもつ「ママ友」の集まりだったようで、案の定「ママ友がこんな時間に飲み会!?」というツッコミを入れられていたのだが、彼女たちの反応は「え? いいじゃん別に」ではなく、「そうなんです!今日はダンナに見てもらってるので〜♪」と何の疑いもなさそうにはしゃいでいた。
彼女たちは、夫の負担にならないよう早い時間から集まり、早い時間の帰宅を予定していると言う。

夫という立派な父親が在宅してるのだから、せっかく数人で予定を合わせて会えた日ぐらい、朝まで飲んでもいいだろう。そこまで窮屈に考える必要ないのでは……?と私が思っていたら、スタジオからはマツコが「まぁ〜これが毎週だったら問題だけどたまにだったら良いと思う!」という“常識的な”意見。
これが子持ちのサラリーマンたちの集まりだったら、週1で終電まで飲んでいても何の問題にもならず、そもそもピックアップされることすらないだろう。だって当たり前の光景なのだから。
何そのズレた見解!とヤキモキしながら見ていたが、彼女たちも「ですよね〜! マツコさんわかってる〜♪♪」と、あたかもこの(拘束された)飲み会を容認してくれたことをありがたがるような反応。まるで他人に子供を預けて遊んでいるかのような言葉だ。
夫は、子の父親は、「子供の世話をするべき人間」ではないのだろうか?

家庭をもった以上、家庭人としての「役割」があるのは分かるが、基本的には自分単体の時間を持ってはならないほど家や子供に縛られることが「女性の役割」だとしたら、その理由は何だろう。
完全母乳を遂行している乳児がいるとかなら、母親の行動が制限されるのは物理的に仕方ないとは思うが、今回の場合は小学生の子を持つ母親たちだった。
なぜ母親が、子供と一緒に家にいて面倒を見るという役割を全面的に担わなければならないのだろう?という疑問と、飲み会だというのに窮屈な状況を強いられながらも母親たちがそれを当然のように受け入れて「ダンナに感謝☆」とか言っている世間の暗黙に腹が立ちモヤモヤしてしまった。

母親でなくても十分に子育てがなされる環境を確保できていたとしても、母親が夜に出歩いていたらふしだらのレッテルを貼られるだろう。
父親が飲み歩くように母親が飲み歩いてもいいはず、つまり父と母で同じ役割をスライドできるはずなのに、女性はなぜ「家庭に縛られるべき」というルールを強いられ、了解してしまうのだろうか?
この暗黙の認識は、いったいどの地点からスタートしているのだろう?

続く
0004逢いみての… ★2017/04/25(火) 01:56:46.23ID:CAP_USER
“稼ぐ”のは男性だけの仕事じゃない。でも“家を守る”のは女性だけの仕事?
子供がいようがいまいが、専業主婦だろうが共働きだろうが、女性のみに「家庭を守る」という義務が生じるようだ。
とある日の『ダウンタウンなう』での人気コーナー「本音でハシゴ酒」でモデルのアンミカ(45)がゲスト出演していた。

話題は、2012年にアンミカが結婚した夫のセオドール・ミラーについて。二人には子供はいないのだが、夫婦仲睦まじく生活をしているという主張の中で彼女が自然に放った一言が私には引っかかって仕方なかった。

『私はこうして働かせてもらってるので……』

“夫に食べさせてもらってるので……”ならまだわかるが、働く=稼ぐことであり、アンミカ自身が家庭の収入を得ているのにそれをなぜ、敢えて「感謝」のエピソードとしてピックアップしなくてはならないのだろう?
まるで、家庭に縛られるべき立場なのに、こうして社会に出て活躍させてもらってる、とでも言いたげだった。

場は何の違和感もないような雰囲気で流されていたが、私には違和感だらけだった。
これは理屈でいえば、結婚するときに「夫は仕事・妻は家事」という契約をしたにも関わらず、妻が仕事を持ち、そのせいで本業である家事を夫にやってもらわざる負えないという状況下にのみ成立する言葉なのではないだろうか。

他にもネットサイト上で、妻の立場にある女性のこんな相談を見かけた。

「幼稚園児の子供が居る共働き夫婦ですが、最近体力が落ちたのか夕方になると身体がしんどく、食事作りが手抜きになってしまいます。夫は文句も言わず食べてくれますが……お弁当も冷凍食品が多くなってきてしまい、本当に申し訳ないです。私がへとへとなので夫は帰ってから毎日子供をお風呂に入れてくれています。早く今の状況を抜け出したいです、良いサプリや改善法があれば教えてください」

夫と同様に仕事をしていてプラスで家事も育児もさらには弁当作り!?バランスおかしくないか!?と私にはビックリだ。
だと言うのに夫は子供を風呂に入れただけで感謝される……?

しかもそれにとどまらず、「手抜きの食事を文句も言わず食べてくれる」ってどういうことなんだろう。
むしろ妻がここまで一人で担っているのに食事の準備をするだけ夫は妻に大感謝、とならなければおかしくないか?

「家事は女がする仕事なのに」という古くからの大前提が動かないまま、「女性も外で働いて輝こう」といわれている。
他にどんな日常的な項目(仕事など)があろうが関係なく、家事や子育てを女性側が「できない」状況だけをピックアップされがちで、当人たちもその認識の中で生きている。
女性が働かなくては経済的にやっていけない現状は置き去りにして「家事は妻の仕事!」の認識だけがしぶとく根を張っている。
そこに対してツッコミを入れる人が少なすぎる。

このご時世、一生専業主婦でやっていくケースや、夫の稼ぎだけで十分生活できるけど妻がどうしても働きたいので夫の反対を押し切って働くというケースの方が少数派だろう。
「稼ぐ」という、古い時代で言うところの“男性の仕事”を女性も担うのが当たり前なのに、「家事・育児」という従来の“女性の仕事”を男性が担うのが当たり前になっていないのが不思議だ。
取り組む男性が増えてはいるものの「イクメン」だとか、敢えてピックアップされる対象だったりする。
珍しいものじゃなくて全員フツーにやるべきことだろう。

続く
0005逢いみての… ★2017/04/25(火) 01:56:57.62ID:CAP_USER
女性自ら内面化した規範に従って、「妻なのだから」「母なのだから」と自らを縛り付けキャパオーバーになってしまうこともしばしばある。
夫と均等になるところを調整し、双方が上手く手を抜くことができる生活を追求すれば良いと思う。
だけど「そんな話し合いが出来たら苦労しないよ」という嘆きも少なくない。

結婚して、母親になって、どんどん不自由になって、「でも愛があるから大丈夫」?大丈夫なわけない。そんな不均衡はおかしいのだ。
仕事をして得る金銭も、家庭内の快適な環境も、子供を育てていくことも、夫婦二人のものなのだから。

仕事も家事も子育ても同時進行しようとすれば、できないことがあって当然だと思う。
逆に全てをコンプリートしようとすれば、削られていくのは自分の時間だろう。
ここを主張すれば、ネット上の立派な「先輩ママ」から「自分の時間なんてなくて当たり前です。」と喝が来るだろうか。

では、なぜ当たり前なのだろう?
「子供がいたら自分の自由なんてなくて当然!」と皆言いがちだが、それが当然であることを説明出来るのだろうか?
我が家では、夫がフルで働くのに対し私はショートタイム契約で仕事をしているが、手がかかる時期の息子の世話も片手間ではできなくなっているし、家事も日々山積みだ。
そのため、私が仕事の日の夫の夕食はスーパーの弁当もしくはインスタントに近い簡易的な食事で、と決めているし、夫が休みで私が仕事の日は夫が家事をしている。
少し前までは、『夫の休み=夫の休息日・私の休み=私が家事に専念できる日』だったのだが、息が詰まってしまう前に夫と話し合い、双方がフラットに息継ぎできる生活を日々追求している。

ただ、私たちと同じように共働きのすべての夫婦に対してこういうやり方を、と推奨したいのではない。
「妻とは、母とはこうあるべき」というイメージのみの暗黙を押し付けたり、それに囚われて、深く追及もせず「これが当然」と思い込んでしまうのは、女性全体の自由を奪うことになる。
夜に出かけていれば「お子さんはいいの?」と言われるし、女性としてのファッションを楽しんでいれば「子育てしてたらそんな余裕ないハズ」とまるで育児を無下にしてるかのような物言いをされることもある。
いずれも不本意だ。

別に外で友達とワイワイ楽しんだっていいじゃないか。流行のお洒落を楽しんだっていいじゃないか。
独身時代であれば誰も何も咎めないことを、母になった途端にまるで非人道的なことをしているかのように非難されるのはおかしな話。
そりゃ中には、仕事を持ちながら家事も子育ても自分が全て立派にやり遂げる! という立派な信念をもち、それでいてそれを全く窮屈に感じないストイックな女性もいるんだろう。
それはそれで、その人に合ったやり方なのだから信念のまま遂行し、生き生きできるのなら良いことだと思う。

妻になろうが母になろうが、あくまでも「自分として生きる権利」があるということを、まず女性皆が当たり前に認識してほしい。
その上で、どう生きるのが自分らしく楽しい生活を送れるのか選択すれば良いが、「妻とはこうだ、母とはこうだ」という、何の追及もしない暗黙のルールを飲み込んで納得してしまっていては、それを無意識に発信する機会もあるだろうし(特に有名人による発信は影響大だ)、知らぬうちに女性の人権が奪われていきかねない。

そうは言っても夫が取り合ってくれないというケースや、夫がどうしても家事をやらないから結局自分がやらなければ……という家庭も実際は多いだろう。
私も少し前まではそうだった。
それならそれで、せめて自分自身が「不満」としてきちんと認識すれば良いではないか。声を大にして愚痴れば良いではないか。

大切なのは、窮屈な思いを「妻(母)なのだから仕方ない」と、誰が決めたわけでもないルールに納得させられ消化してしまわないことだ。

終わり
0007夜更かしなピンクさん2017/04/26(水) 00:52:52.90ID:sd3oPn9h
>>6
は?
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