自分は相手を好きだと思っていても、実はそれは自己愛に過ぎないことはよくあることです。
人を愛するとは、どういうことなのでしょうか?

自分の幸せばかりを考えて人を好きになる人は、愛情を相手ではなく、自分に向けています。
相手への感情は、「自分にとって都合がいいから好き」程度のことが多いのです。

相手を本当に愛するということは、「相手の幸せを願う」ことです。もちろん人の幸せを願うためには、まずは自分が幸せでなければ難しいです。
だから、「自分も相手も幸せになることを願う」こと、さらに進化をしたら、「相手の幸せが自分の幸せ」だと思えるようになることが、本当の愛情なのです。

相手に愛情を注いでいるようで、自己愛をぶつけていることはよくあることです。そんな例を2つ紹介します。

パターン1:相手にお節介を焼いてしまう

愛する人が悩み苦しんでいる時、手を差し伸べたくなるのは、当然のことです。
でも、そこには相手が1人で自己と向き合い、答えを見つけなくてはいけないこともあります。
そんなときは、「相手を1人にさせて見守る」ということが重要なのです。

人それぞれに“人生のテーマ”はあります。それは自分自身の課題だからこそ、他人がどうこうできないことも多々あります。
だから、その人自身の力で、自分の弱さと戦ったり、学んだりすることが重要なこともあるのです。

愛する人が、その“自分自身の人生のテーマ”で苦しんでいる時、むやみやたらに手を貸そうとする人もいます。それは、愛情ではありません。
そこにあるのは、自分が相手に「必要とされたい」という単なる“自己愛”の方が強い場合が多いからです。
それは、相手に求められることで自分の存在価値を感じたいという依存心であるとも言えます。

相手が本当に1人で乗り越えるのには難しく、助けを求めているのであればまだしも、そうではないのにお節介を焼くのは、相手のためにもなりません。
なぜなら、苦しんで、苦しんで、その結果、学べることもあるからです。

学び切らないうちに、その問題が解決してしまったら、また同じことが起きたときに乗り越えられなくなってしまいます。
だからこそ、大切な人が学ぶタイミングの時は、相手が学び切れることを信じ、見守らなくてはいけないこともあるのです。

パターン2:相手に自分の理想を押し付ける

相手のキャラクターを無視して、自分の理想を押し付ける人は意外といます。
本人は良かれと思ってやっていますが、相手にとってはありがた迷惑です。
なぜなら人は、自分らしさを失うと幸せではなくなってくるからです。

もちろん直した方がいい欠点もあるでしょう。その場合は、きちんと教えてあげることは大切です。
ただ、それを直さなくても、誰の迷惑にもかけず、日々の生活に支障がないのであれば、相手の欠点を直すことに躍起になるのではなく、自分自身がそれに対してフォローしたり、対応したりできるようになった方が、愛情はあるでしょう。
結局、自分は変わる気ないのに、相手ばかり変えようとする人は、自分の都合のいい相手になることを求めているだけなのです。

本当の意味で、人を愛するというのは、「ありのままの相手を受け止め、成長を願うこと」です。
その成長というのは、人としての成長であり、自分の都合のいい人間になるための成長ではありません。

これは、恋人関係に限らず、親子関係でも同様です。親が子供に理想を押し付けることで、子供が大きくなった時には煙たがれ、関係が悪化してしまうケースはよくあることです。
結局、愛情でないものを相手に投げかけたら、相手からも愛情ではないものが返ってきてしまうのです。逆を言えば、きちんと本当の愛を注げられるようになれば、自分にも愛が戻ってくるというわけです。
つまり、人を愛するのは、相手のためだけではなく、自分が幸せになるためにも重要なことなのです。

続く

以下ソース
https://allabout.co.jp/gm/gc/469224/

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