最近では“子供たちの性”に関する扱いが、昔と比べて格段に厳格なものとなったことから、以前は当たり前のように、全国の学校で行われていた“あけっぴろげ”な身体検査も昔話となり、診断にあたる医師を除けば、異性が子供たちの裸体に直接触れるケースは激減しているが、かつては健康診断も男女の境がなくベルトコンベアー式で行われたり、上半身裸の屋外での乾布摩擦や、体育の授業の際の着替えが、男女同じタイミングで行われていたりと、当世の事情からすれば、にわかに信じ難い行為が平然と行われていたものであった。
しかも、さらに時を遡れば、さらに信じ難い行為までもが、ごくごく当たり前のことととして行われていたのだという。

「今はもうこういう時代になったから、おかしいとみなさん思うでしょうけれども、当時はそれが普通なことでしてね。みんな当たり前だと思っていたんですよ」

かつて、北関東のとある地域で行われていたという珍妙な風習についてそう証言するのは、現在、東京に住む親族のもとに身を寄せているという元農業・山村義三さん(仮名・78)。
山村さんの話によると、彼が生まれ育ったというその地域においては、子供たちの“性”にまつわる、奇妙な風習が大々的に行われていたという。

「簡単に言うと、子供たちの成長をね、確認していくというものなんです。
年頃になると、胸が膨らんできたり、毛が生えてきたりするでしょう?それをね、地域の大人たちが、みんなで観察する、と。そういう習慣です」

たしかに、現在よりも栄養事情が良くなかった時代には、子供が無事に成長し、成人を迎えられるかどうかは、どこの家庭の親にとっても、ハラハラさせられる問題だったのかもしれない。
そうした意味で言えば、彼らの不安を払拭し、

「成長の遅い子供には、促進することを目的に始められた」(山村さん)

というこの風習も、ある意味、合点のいくものであるとも言えなくもないが、そうは言っても、その対象は何かと難しい年頃の子供たち。
当然のごとく、この風習が心の傷を負わせることもあったという。

「なにせね、大人たちはもちろんのことね、隣近所の子供たちも一斉にスッポンポンになって調べられるわけだから、みんなに裸を見られるでしょう?
まだ5つや6つくらいの子ならばまだしも、上は15歳くらいの子もいるわけですからね、それはもう、恥ずかしかったと思いますよ」

こうした思春期に味わう羞恥体験が原因となっているのか、山村さんの話によると、当地の人々は、いわゆる「晩生」になりやすく、その初婚年齢は周囲の地域に比べて格段に高い傾向にあったという。

「まあ、いくら恥ずかしいと言ってもね、大人たちにとっては、子供がちゃんと育ってくれているかどうかっていうのはとても気になるところでね。
実際、発育が悪い子をみつけると、みんなで精のつくような食べ物を与えたりしていましたからね、あながちおかしなだけの習慣だとは言えない気もするんですよ」

無論、この風習は、時代が下るにつれて急速に衰退していき、今ではその“経験者”すら、数えるほどになっているとは言うが、実際に当時の子供たちが味わった気持ちを思うと、それが大人たちの善意によるものであるがゆえに、かえって複雑な心境にさせられるところだ。

以下ソース
http://tocana.jp/2017/07/post_13715_entry.html

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