戸叶和男『日本奇習紀行』

首都圏から電車で2時間ほど行った先にある伊豆半島。
今でこそ“廃ホテル半島”と化しつつある当地でが、かつてはその玄関口である熱海が「東洋のナポリ」などと呼ばれて脚光を浴び、憧れの新婚旅行地として広く知られていたこともわかるように、日本人が本物のナポリへ造作なく出かけられるようになるまで、同地域は多くの人々にとっての“身近な楽園”として、大いに賑わったものだった。
しかしそうした“光”の部分があったがゆえに、同時に“影”の部分も生まれたのであった。

「そりゃあ当時はエラい好景気でね。若い人らなんかからすると、バブル時代のあの感じを思い浮かべてもらえれば、それが近いんじゃないかな?というぐらい」

伊豆地方の“全盛期”に当地で過ごした元・宿泊業の土屋茂さん(仮名・84)は、当時の賑わいを振り返りつつ、懐かしそうに語る。

「熱海から伊東、熱川、稲取、下田とね、それこそ繁忙期になると全部のホテルや民宿が毎日満室になるほどでね。
夏の1カ月で1年分稼ぐだなんて言う人も少なくなかった。それこそ毎日がひたすらお祭りのようだったよ」

主に、戦後の焼け野原から高度経済成長期へと時代が移り変わり、さらにバブル景気が訪れるまでのいわゆる「1ドル360円時代」に、父から継いだ家業の旅館を発展させる形で、「一財産も二財産も築けた」という土屋さん。
その好景気ぶりは、当時を知らぬ我々からすると、まさに“終わらないバブル”といった雰囲気のものであるが、そうした好景気による“光”は、同時に“影”の部分を生み出すこととなったという。

「なにせね、慢性的な人手不足なもんだからね、素性の知れない人間でも平気で雇っていたし、昨日までいた人間が急に姿を消すだなんてこともザラでね。
そういう環境だから、犯罪者やヤクザ者崩れなんかも平然と紛れ込んでいたし、借金のカタに売られてきたような娘だって結構いた。
でも、誰も詳しい話を聞くことなんかありゃしない。そういう場所だったし、そういう時代だったんだよ」

土屋さんの話によると、伊豆半島の各地にある観光地では、ホテルや旅館などの“表の観光業”のスタッフばかりではなく、ストリップ小屋やソープランド、さらには“ちょんの間”的な風俗といった“裏の観光業”働く女性たちなど、様々なジャンルで深刻な人手不足が生じ、それゆえ、履歴書1つないような素性不明の人々が各地から日々押し寄せ、自然と紛れ込んでいたのだという。
そのため、大都市圏で犯罪を犯して逃走している者や、家庭を放棄して逃げた失踪者、さらには借金のカタに身売りされた者など、様々な“ワケあり”の人々がこの地で暮らしていたという。
無論、その多くは、当地に昔から住む人々にとっても余所者でしかなかったが、猫の手も借りたいくらいの状況であったがゆえに、あえてそれを見てみぬふりをすることで、結果として彼らを受け入れるという“暗黙のルール”が存在していたのだという。

続く

以下ソース
http://tocana.jp/2017/07/post_13706_entry.html

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