【歴史】18世紀のフランスで起きた『助産婦排除』 布製実物大マネキンを使って実践的分娩を広めた女性・アンジェリーク[12/22] [無断転載禁止]©bbspink.com
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0001逢いみての… ★2017/12/22(金) 01:52:22.65ID:CAP_USER
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生成りの布で作られた小さな子どもの人形が、布製の子宮から出てきている。これは、分娩を学ぶために作られた史上初の実物大マネキンである。
18世紀の産科のパイオニアである、フランス人女性のアンジェリーク=マルグリット・デュ・クドレーは、このマネキンを使って、地方の女性たちに分娩時の子どものとり上げ方を実践的に教えた。
彼女は当時のフランスの産科医療に大きく貢献したのである。

この助産婦教育用マネキンを作り出した、アンジェリーク=マルグリット・デュ・クドレーは1715年に、中世フランスのクレルモン=フェランの高名な家庭に生まれた。
若い頃のことはあまり知られていないが、25歳のときに3年間の年季奉公をつとめあげて、パリの外科大学を卒業したことはわかっている。

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この頃、自らを外科医と称していた男の開業医たちと助産婦との間に確執が起きた。
男の医者たちは、これまで、分娩を助け、妊娠時から出産後まで妊婦の世話をしてきた助産婦を排除し、医療と健康に関することはすべて自分たちが担当すると断言し始めた。
彼らは自分たちの現代的な科学技術のほうが、助産婦が行う民間療法よりも母体や胎児のためにいいと主張したのだ。

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アンジェリークが卒業してすぐ、学校は女性が産科を学ぶことを禁止し始めた。この決定に驚いた女性たちは、助産婦になるために適切な指導が受けられるよう抗議、要求し始めた。
アンジェリークはそんな女性たちを支援する側についた。

適切な産科教育か受けられないと、訓練なしで分娩を続けることになり、却って患者のために良くないと主張し、さらに、きちんとした教育がなされなければ、助産婦が足りなくなると断言した。

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医学界はこの訴えを聞き入れ、再び女性たちは分娩技術を学ぶことができるようになった。
アンジェリークの支援の役割が大きかったため、彼女は有名なオテル・デュー・ド・パリ病院で助産婦長として指名された。

1759年、アンジェリークはルイ十五世と謁見し、乳児の死亡率をを減らすために、地方の農民の女性たちに助産術を教えるよう依頼された。
1760年から1783年の間、アンジェリークはフランスじゅうの地方に出向き、貧しい女性たちに自分の幅広い知識を伝授した。
この間、40以上のフランスの都市や地方で、およそ4000人の生徒、500人以上の男性外科医や内科医たちに直接指導したと言われている。

地方の助産婦の卵たちの助けにするために、アンジェリークは実物大のマネキンを作成し、"マシン"と呼んだ。

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これは、布や革に詰め物をしてこしらえた女性の下半身のモデルで、ときに本物の人間の骨を使って胴体部分を作ることもあった。
さまざまな糸ひもや革ひもを産道や会陰部に見立てて、分娩の仕組みをデモンストレーションした。胎児のマネキンの頭には、ちゃんと鼻や耳が縫いつけられ、インクで描かれた髪の毛、口、舌まであった。

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この"マシン"は細かいところまで正確で、外科大学が分娩法の練習教材にふさわしいモデルとして認定したものだ。

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続く

以下ソース
http://karapaia.com/archives/52250914.html

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0002逢いみての… ★2017/12/22(金) 01:52:41.75ID:CAP_USER
アンジェリークは、フランスじゅうをまわって講義した内容すべてを「Abrege de l'Art des Accouchemens(Abbreed of the Art of Delivery)」という本にまとめた。
38章にわたって、女性の生殖器、適切な胎児健診、助産、出産時のさまざまな問題、22ヶ月も妊娠していた珍しいケースなどが網羅されている。

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アンジェリークは1794年4月17日にボルドーで亡くなったが、その死は謎に包まれている。当時は折しもフランス革命のさなか、敵を一掃し、外国の侵略から国を守ろうとしていた恐怖政治の時代だったためだ。
アンジェリークはそれまでルイ15世によってその身分を保証され、仕事を委託されていたため、秘かに処刑されたのではないか、と考える学者も多い。享年82歳だったので、単に高齢のため死んだと考える者もいる。

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アンジェリークのマネキンは現在、ルーアンにあるフローベル医療歴史博物館に所蔵されている。

終わり
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