1月1日の午前、皇族方や総理大臣、各国の駐在大使公使夫妻などが新年の挨拶のため天皇皇后陛下のもとを訪れた。
朝9時30分頃、雅子さまは皇太子さまと愛子さまとご一緒に、半蔵門から皇居へと入られた。その1時間ほど前の朝8時15分、乾門を1台のハイヤーが通過した。乗っていたのは雅子さまの両親である小和田恒・優美子夫妻だった。
ご実家である小和田家の人々は、皇后という大役を引き継がれる雅子さまにとってかけがえのない存在のようだ。

外務省のトップエリートだった恒氏は、1999年に退官後、2003年に国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)の判事に任命され、2009年には日本人初の同裁判所の所長に就任した。

「2012年に所長を退任したあとも判事を務める恒氏は、生活の拠点をオランダに置いています。日本には、年3〜4回の休暇に帰ってくる程度だそうです」(外務省関係者)

恒氏と、実業家の令嬢だった優美子さんとの間に雅子さまが誕生されたのは1963年。3年後には、双子の妹・礼子さんと節子さんが生まれた。
恒氏の転勤の関係で幼少を欧米で過ごされ、ハーバード大学に進学、帰国後は東大在学中に外交官試験をパスされた雅子さまは、1986年に皇太子さまと運命の出会いを果たされ、1993年に皇室に嫁がれた。
当時から、雅子さまと小和田夫妻、2人の妹たちとの結束は固かった。

「雅子さまは、皇太子さまからのプロポーズを“住む世界が違いすぎて、自信がありません”と、一度断っていらっしゃいます。その不安は、相当なものだったでしょう。民間初の皇太子妃として嫁がれた美智子さまは、かつて度重なるつらい思いをされました。雅子さまに同じ経験をさせてはならないと、雅子さまとご実家との専用電話を設置され、優美子さんはマイカーで荷物を運び込んだりと、当時の東宮仮御所を頻繁に訪れていました」(ベテラン皇室記者)

心細い思いはさせたくないという美智子さまの配慮だったのだろう。だが、それが思わぬ批判を呼んでしまう。

「ご結婚後2か月で、優美子さんが雅子さまの元を訪ねたのは十数回に及びました。雅子さまとご実家との距離感が近すぎて、“嫁いだという自覚があるのか”という批判が起こりました。さらに、美智子さまが嫁がれた際に正田夫妻が“娘は皇室に差し上げた”と話していたことを引き合いに出した、小和田夫妻へのバッシングにも繋がったんです。結婚前、雅子さまと出かける優美子さんが毛皮をまとっていたことが、“派手すぎる”と揶揄された火種も一気に燃え広がりました」(前出・ベテラン皇室記者)

2004年3月、前年末から体調を崩されていた雅子さまは愛子さまを連れ、長野県軽井沢町にある小和田家の別荘で療養された。1か月に及ぶ療養には、優美子さんと礼子さんも付き添った。

「民間の別荘に滞在するのは警備上の問題もあり、加えて皇太子さまがお見舞いに行かれることに“小和田家は皇太子殿下を呼びつけるのか”という批判まであがったのです」(前出・ベテラン皇室記者)

小和田夫妻を知る人物が明かす。

「娘のためを思うことが、娘をさらなるバッシングにさらしてしまうことに、夫妻は心を痛めていました。そして、一定の距離を保つことが、雅子さまのためだという結論に達したようです。恒さんは2012年に国際司法裁判所の所長を退任。高齢でもあり帰国すると思われていましたが、その後も判事という立場を継続しオランダでの生活を続けています。その理由は、雅子さまと物理的な距離を保つためだったそうです。自分たちが日本にいると、娘にかえって迷惑になると考えたのでしょう」

続く

以下ソース
http://www.news-postseven.com/archives/20180108_642476.html

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