人は死ぬと火葬されて墓に入る。これはごく当たり前のことだ。しかし、人が死んだら墓に入らなければならないという観念が生まれたのは、ごく近年のことになる。奄美諸島や沖縄では、死者の遺体を洞穴や岩陰などに置き、自然の空気に晒して、白骨化させていた時代がある。この葬法は、『風葬』と呼ばれる。

奄美諸島や沖縄は、遺体や遺骨への執着心が色濃く残されている土地だ。日本では、衛生上の問題により火葬が義務づけられているが、これらの一部の地域では、昭和に入ってからも『風葬』が行われていた。『風葬』が行われると、その年から5〜7年経った頃に親族や親しい者たちが集まり、骨を海水で浄めてから瓶や壷に納め、それを土の中に埋葬していた。このとき、そこに集まった人たちは、死者の骨に触れながら生前の思い出を語らうだけではなく、死者をその手であの世へと送り出していた。

その昔、奄美大島北部に『ヤドカリ葬』を執り行っていた集落がある。この集落では人が亡くなると、『ニャーデバナ』と呼ばれている岩礁に遺体を運んでいた。ここに運ばれた遺体は、岩礁の周りに棲んでいるヤドカリに食べられることによって天に昇っていった。今回、特別な許可を得て、奄美大島在住の70代男性に話を聞くことができた。

「『ニャーデバナ』は、離れ小島になっています。死者は、ヤドカリと鳥に食べられることによって供養されていたのです。ヤドカリは、オカ・ヤドカリという種別のものです。鳥葬もそうなのですが、遺体をヤドカリに食べられることによって、肉をきれいに取ってもらうことができました。ヤドカリは、こちらの方言でアマンと呼ばれています。アマンは、聖なるものと見なされていて、死者の霊を弔うものとされていました。このような葬法が行われていたのは、江戸時代の後期くらいまででしょう。明治に入ると『トフル』と呼ばれている洞穴墓に、死者の遺体を安置するようになりました。これは、風葬という葬法です。昔、あの集落の大人たちは、子どもたちに『あそこは、ケムン(化け物)が出るから近づくな!』と言っていたようです。『集落の聖地なので近づくな!』という意味合いがあったからでしょう。集落の人たちにとっては、『ニャーデバナ』は、『天に通る道』とされていたのです」

この男性は、島に伝わる伝聞を思い出しながら話をしてくれた。男性の家は、『ニャーデバナ』から車で20分くらい走ったところにある。この集落で『ヤドカリ葬』は行われていなかったので、そのことを知っていることを考えると、奄美大島でも稀有な葬法だったと考えることができる。

『ニャーデバナ』は、ごく小さな岩礁だ。干潮のときには、誰でも歩いて渡ることができる。しかし、潮が満ちてくると、船を使わなければ渡ることはできない。そして、すっかり日が暮れて暗くなると、岩礁は、闇の中に閉ざされてしまう。どこからともなく岩礁に上がってきたヤドカリは、死者の遺体にまとわりついて、肉(肉汁)を吸い取るようにして体内に取り込んでいたことだろう。島には、「シャム、シャム、シャム……」という無数の音が聞こえてきたという伝聞もある。

最近、何も知らない観光客が『ニャーデバナ』で釣りをしていることもあるという。外海に面しているので、大物が釣れるということなのだ。しかし、奄美大島で暮らしている年配の人たちは、どんなご利益があったとしても『ニャーデバナ』に近づくことはないという。

以下ソース
http://tocana.jp/2018/03/post_15991_entry.html

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