連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤が犠牲者は4人である。......少なくとも、裁判ではそういう事になっている。宮崎勤の弁護方法が、日本の裁判史上においてきわめて特異だと言われたのは、最初に被害者である四人の女児を殺害したことを認め、それから宮崎の精神世界に踏み込んで、その異常性とそこに到るまでの過程を説明し、責任能力への疑問と情状酌量によって無罪もしくは減刑を獲得しようとしたことによる。

つまり四人の女児を誘拐し、連続殺害したという事実関係については争わず、最初から被告の側で認めるという前提をもとに、裁判は進められていくのだ。

ところで、この報道に触れたときにはひとつの疑問があった。

「それでは、五人目の犠牲者は消えてしまったのか」

ということである。私は宮崎勤の逮捕後、報道記事や論説をモンタージュ、コラージュして事件の総体を浮かびあがらせる目的で「贖罪のアナグラム――宮崎勤の世界」という本を編集しており、事件関連の記事の多くに目を通していた。だから、その「五人目の少女」の存在を覚えていたのだ。

しかし、「五人目の少女」の記憶は年月とともに薄れていき、編集者の久田氏と打ち合わせをしてこの記事を書く事になったのだが、もう少女の正確な名前も年齢も、事件の概要も分からなくなっていた。

それで調べ直してみると、たしかに時期的にも遺体のあり方からしても、宮崎の犯行と疑われても仕方ないような事件だったと再確認する。痛ましい。

まず、幼女連続誘拐殺人事件がどのような事件であったかを簡単に振り返ってみよう。事件は全て1988年、1989年、埼玉県と都内で起こっている。

1988年
・8月22日
埼玉県入間市。午後三時頃、今野真理ちゃん(当時4歳)がプールから自宅マンションに帰り、そのあと外出して行方不明に。
・10月3日
埼玉県飯能市、午後三時頃。吉沢正美ちゃん(当時7歳)が自宅を出たのち行方不明に。
・12月9日
埼玉県川越市、午後五時頃。難波絵梨香ちゃん(当時4歳)が帰宅する途中、自宅のある団地内で行方不明に。6日後の15日、自宅から約35キロ離れた埼玉県入間郡名栗村の山村で裸の遺体が発見される。
・12月20日
絵梨香ちゃん宅に、当日消印の「絵梨香 のど かぜ せき 楽 死」という内容のハガキが届く。また同じ頃、真理ちゃん宅に「魔がいるわ」というハガキが届られている。逮捕後の宮崎の供述によれば、これは「入間川」のアナグラムであり、真理ちゃんの亡くなった場所を遺族に教えようとしたらしい。

1989年
・2月6日
 真理ちゃん宅の玄関に、骨片、写真(真理ちゃんが失踪当時、身につけていいたピンクの半ズボン、パンツ、ピンクのサンダルが写っている)「真理 遺骨 焼 鑑定証明」という内容のメモが入れられた段ボール箱が置かれる。
・2月10日
「今田勇子」名の真理ちゃん事件に関する「犯行声明」が朝日新聞東京本社に届けられる。11日には真理ちゃん宅に同じ内容の「声明文」が届く。
・3月11日
「今田勇子」名の「告白文」が朝日新聞東京本社と真理ちゃん宅に届く。
・6月6日
 都内江東区東雲。午後6時頃、野本綾子ちゃん(当時5歳)が自宅付近で湯空不明に。5日後の11日、埼玉県飯能市にある宮沢湖霊園で遺体が発見される。
・7月23日
 都内八王子で宮崎が強制わいせつ現行犯で逮捕される。
・8月9日
 綾子ちゃんの誘拐殺人を自供。翌10日、都内西奥玉郡奥多摩町で綾子ちゃんの頭部が発見される。
・8月13日
 真理ちゃん、絵梨香ちゃんの誘拐殺人を自供。
・8月25日
 吉沢綾子ちゃんの誘拐殺人を自供。

続く

以下ソース
http://tablo.jp/case/society/news003219.html

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