【社会】“男女共同参画の母”赤松良子が歩んだ茨の道「お前がいくら偉そうな事を言ってもこの家のものは竈の灰まで俺のものだ」[06/11] [無断転載禁止]©bbspink.com
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0001逢いみての… ★2018/06/12(火) 00:15:12.41ID:CAP_USER
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男女雇用機会均等法の母、赤松良子さん(撮影/小山内麗香)

「本当に長かった」
「この日をどれほど待っていたことか」

5月下旬、参議院会館で満面の笑みをたたえながら祝杯をあげる女性たちの姿があった。
女性の社会参画を目指す市民団体「クオータ制を推進する会」、通称“Qの会”のメンバーだ。クオータ制(QUOTA制)とは、政治における男女格差を是正するために、議員や閣僚などの一定数を女性に割り当てる制度のことを指す。

5月16日、参院本会議で「政治分野における男女共同参画推進法案」が成立した。この法案の内容は、国や地方の選挙で男女の候補者数をできる限り均等にすることを求めるもので、「候補者男女均等法」とも呼ばれている。
現在の衆議院は男性議員418人に対して女性議員がわずか47人。各国の議会が参加する列国議会同盟の2017年ランキングによれば、日本の衆議院は、女性議員の割合が193か国中165位だ。

2012年に発足したQの会は、男性議員が圧倒的に多数を占める現状を変えるべく、足かけ6年にわたって候補者男女均等法の成立に尽力した。
さまざまな年代がそろう女性たちの中心にいたのが、同会の代表を務める赤松良子さん(88才)だ。赤松さんは33年前、旧労働省婦人少年局長として職場における男女平等を規定する「男女雇用機会均等法」を成立させた。
そして今年、Qの会代表として政界における男女平等への道を切り開いた彼女は、2つの「均等法」を生んだ存在で、まさに「男女平等の母」だ。

労働省(現厚生労働省)に入省し、政治の世界で働き始めた1953年から半世紀以上にわたり、女性の地位向上のために歩み続けた赤松さんの半生は、日本社会における性差別との闘いそのものだった。

赤松さんが生まれたのは1929年、世界大恐慌が発生した年だった。西洋画家の父と、それを支える母の末娘としてふたりの愛を一身に受け、大阪で生まれ育った。

「小さな頃から女性が男性より下に見られるのはおかしいと思っていました。昔からフェミニストだったんです」

穏やかな、でもはっきりした口調で語る赤松さんは、鮮やかな花柄のスーツに鮮やかな赤の口紅が映える。幾多の山谷を乗り越え米寿を迎えた自信が、凜とした雰囲気を生む。

赤松さんが生まれた戦前の日本は、文字通り、男尊女卑がまかり通る国だった。

「子供の頃は明治民法の時代で、女には何の権利もない。兄からは『お前がいくら偉そうなことを言っても、この家のものは竈の下の灰までおれのものだ』と言われ、悔しい気持ちになったものです。末娘の私はもちろん、母親にも家の財産はびた一文渡らない制度で、当時から『こんなひどい法律はどうかしている、変えることはできないのだろうか』と思っていました」(赤松さん)

怒れる少女の転機は、終戦だった。GHQの改革により日本の家父長制度は終焉を迎えた。翌年には女性参政権が認められて、初めての選挙が行われた。ものすごいスピードで移り変わる世の中に赤松さんは大きな衝撃を受ける。15才のときだった。

「憲法をはじめさまざまな法律ができて、財産も均分相続になり、選挙権も得られた。自由と平等を体現するような戦後の民主主義はキラキラと輝いていて、『自分さえ努力すれば女性の立場をもっと変えられるかもしれない』という希望を感じました」(赤松さん)

民主主義に後押しされた赤松さんは1947年に上京し、津田塾専門学校(現津田塾大学)で英語を学んだ後、東京大学法学部に入学した。当時、800人の学部生のうち女性はわずか4人だった。

続く

以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20180611_693856.html

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0002逢いみての… ★2018/06/12(火) 00:16:36.56ID:CAP_USER
東大卒業後、1953年に労働省に入省し、婦人少年局婦人課に配属された。銀行で事務の仕事をしていた村田和代さん(仮名・84才)が振り返る。

「仕事の内容も賃金も男女ではっきり分かれていた。私たちはお茶くみやお札の数を数えるのが仕事。明日辞めても誰も困らないような内容でした。だけど、自分も周囲も3〜4年働いたら社内結婚かお見合いをして寿退社をするのが当たり前で、仕事の内容にも賃金にも疑問や不満を感じたことはなかった」

そんな時代でも赤松さんは、女性の権利拡大のために馬車馬のように働いた。私生活では大学卒業と同時に結婚。相手は大学の同級生だった。そして、当時としては先進的だった夫婦別姓を選択した。

「周囲からは『変わってるわね』と言われたけれど、私は一生仕事をしようと決めていたから、名前を変えたくなかった。夫もその気持ちをわかってくれました」

結婚して3年目には長男が誕生したが、多くの女性と同じように退職して家庭に入ることはみじんも考えなかった。

「今のように時短勤務が認められるわけもなく、子供がいながら定時で働いていました。昼間は施設に預けて帰宅後や休日は自分で面倒を見る。毎日へとへとで、思い返すとあの頃がいちばん大変だった」

肉体的疲労に加え、周囲からの無理解も、赤松さんを追い詰めた。

「周りは『子育てが大変なら仕事を辞めればいい』という風潮。今のようにサポートしてくれるような人はほとんどいなかった。そんな苦しい状況でしたが、仕事を辞めようと思ったことはありません」(赤松さん)

仕事に心血を注いだ赤松さんは、男女平等を阻む「壁」を何度も肌で感じた。

「労働省は一般企業と比べれば男女平等が進んだ職場でしたが、同期の男性たちが転任して役職が上がるなか、私だけが女性であるという理由で役職が上がらない。そのときは本当に腹が立った。気持ちを落ち着かせるため、終業後にはお茶碗に日本酒を注いで、婦人課の女性メンバーと一杯ひっかけていました。みんな酒飲みだったんですよ(笑い)」(赤松さん)

鬱屈した気持ちを抱えながらも業務の一環としてさまざまな一般企業を訪れ、働く女性の姿をつぶさに見学した。そこで思い知らされたのは、職場における女性の扱いがいかに不当であるかという現実だった。

「同じ仕事をしていても、男女の賃金と昇進には大きな格差がありました。男性が10年働けば主任や係長になって昇進の道が開かれる一方、女子社員の待遇は変わらない。それどころか、10年たたないうちに辞めてしまう。女性にとっての仕事は結婚までの腰かけと決めつけられて、“30才定年”も当たり前だったんです」(赤松さん)

当時、日本は高度経済成長の真っただ中。

「この経済成長も、女性の労働力を搾取することで成り立っているのではないかと思うようになった。しかし、当の働く女性たちはそのおかしさに気づいていなかった」(赤松さん)

女性が搾取や差別をされる職場環境を何としてでも変えたい――そう願う赤松さんが着目したのが「法律」だった。

「法律さえできれば、世の中は大きく動きます。当時の私は法律を作る立場にいたから、何とかして世の中を変えようと、女性の働く権利を記した男女雇用機会均等法を立案しました」(赤松さん)

法案を国会に提出するため赤松さんは連日、政財界の大物を訪ねて法の意義を説いて回った。だが男社会に染まった彼らの反応は鈍く、ある大企業の社長は、「女性差別があるから企業が成り立つんだ」と公然と口にした。

現実として、当時の働く女性の多くは会社の「お飾り」だった。上智大学在学中の1980年にレポーターとしてデビューした安藤優子さん(59才)が振り返る。

「『女は男の横で黙ってニコニコしながらうなずいていろ』という時代でした。私も『インタビューする時はミニスカートで行け』と当たり前のように言われていました」

続く
0003逢いみての… ★2018/06/12(火) 00:16:47.49ID:CAP_USER
あ然とするほどの無理解が横行する中、赤松さんは粘り強く説得を続けた。

「『女性を差別して何が悪い』『若いうちに結婚相手を見つけてやればいいんだろう』と悪気なく言い放つかたがたを、『世界を見てください。日本以外の先進国は、どこも女性の働く権利を法律で認めています。日本経済が女性の搾取と犠牲の上に成り立っているのは、世界に対して恥ずべきことです』と説得しました。これをほぼ毎日続けると、少しずつ法案への理解が広がっていきました」(赤松さん)

決死の努力が実り、1985年に男女雇用機会均等法が成立。歴史的な一歩となった。

「私にとっても生涯の大仕事でした。搾取されているのに気づいていない女性にも、これでわかってもらえると思いました」(赤松さん)

終わり
0004夜更かしなピンクさん2018/06/12(火) 00:39:09.95ID:FnCcCPVz
男女に上下などあるわけない。
だがな、女性の社会進出が進むほど、出生率は低下する。
このままでは日本も外国人移民の国になる。それがいいなら、勝手にやってろ。
0005夜更かしなピンクさん2018/06/12(火) 00:57:57.56ID:T/70iL8u
安藤裕子には何も言う資格はない
女だからではなく、
何度も不倫して人の家庭を壊したからだ
奥さんと子供の心の傷を考えろ
0007夜更かしなピンクさん2018/06/12(火) 09:24:07.84ID:jV7ZLc2z
>>4
目の前の機械で数秒調べれば、OECD諸国では女性労働力の高い国、社会進出の高い国ほど
合計特殊出生率も高くなるという相関関係(1970年以前は逆の相関関係)のデータが山ほど出てくるのに
そんなこともできないって・・・もう黙って寝てた方がいいよ
0009夜更かしなピンクさん2018/07/19(木) 21:11:51.17ID:xWuPFv/K
それよりも男でも潮吹きができて気持ちいいらしいぞ。「男の潮吹き誰でも鉄人ガイダンス」で検索すると誰でもできるらしいが。

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