「アンチ東京」では通じ合える京都と大阪だが、実はお互いに反目し合っているという。一筋縄ではいかない関西人の「東京ぎらい」を、国際日本文化研究センター教授の井上章一氏が独自の視点から読み解く。

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 新幹線が開通したのは一九六四年である。そして、その設営以後、京都へ観光でおとずれる人の数は、飛躍的に増加した。首都の雑誌も、その趨勢におされ、京都の見所を、つぎからつぎへと書きつらねる。美辞麗句の数かずで、京都をほめあげた。

 もちろん、京都は江戸時代から観光地になっている。しかし、二〇世紀後半以後のメディア状況は、その勢いをいっそうあおりたてた。右肩上りと言っていいその傾向は、今もつづいている。

 京都洛中の中華意識は、そんな趨勢によっても増幅されてきた。東京のメディアが、よってたかってもちあげる。そのあつかいも、彼らのうぬぼれを肥大化させた。

 今でも、都は京都だと言う人がいる。そんな話も、京都のユニークぶりをつたえる話題として、首都のメディアはおもしろがる。京都人の増長ぶりには、東京がおだてた部分もあると、私はにらんでいる。

 いっぽう、ビジネスの街であり続けた大阪に、こういう力学ははたらかない。首都の雑誌をはじめとするメディアは、さほど大阪をもちあげようとしなかった。まあ、ビジネスマンむきに、風俗営業の出色ぶりをつたえはしていたが。大阪にはこんな店がある、あんなことまでやらせてくれる店さえある、などなどと。

 以前の大阪は食いだおれ、グルメの街であると、自他ともにみとめていた。だが、首都のメディアは、京都の料理店ばかりをとりあげるようになっている。大阪のことは、タコ焼きとウドンの街ででもあるかのように、あつかいだした。おかげで、今は食文化という点でも、京都のほうが強く印象づけられるにいたっている。

 京都も大阪も、あいかわらず東京なにするものぞといった声を、あげつづけている。そのいっぽうで、大阪は京都を批判的にながめる、その度合いを強めてきた。あいつらは、東京のメディアで虚像をふくらまされ、調子にのっている、と。

 そして、京都のほうもブランド価値の高められない大阪を、ますます見下すようになった。東京に追い抜かれた京都と大阪だが、連帯しあう方向へはむかわない。むしろ、たがいの反目を深めている。関西人の「東京ぎらい」も、一筋縄ではいかないようである。

以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20180930_754621.html

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