――2001年にSOD(ソフト・オン・デマンド)のグループ会社として「ドグマ」を立ち上げ、02年に独立した
「請け負いの制作会社ではなくなったんだけど、独立したばかりでお金がないんだよ。最初に何をやったかというと『青い性欲』というシリーズ。要はアオカンだよ(笑い)。それくらい大変だった。あとスタジオで撮るときもセットや美術も組めないということで全部黒バックの世界だけ。ドラマもないし、飾り込みも全くなく、あるのは女体だけ。それで女のコを追い込んでいくスタイルになっていくワケだ」
――拘束椅子を一番最初に導入した
「俺の分身としてやってくれていた(加藤)鷹さんが責め係だったでしょ。鷹さんが潮を吹かせると女のコが腰を引いて逃げまくるのよ。なぜかというと、『本気でイッたりするとタレントになれないよ』って周りから言われて、それがまかり通ってたんだ。そんなの完全にウソ。はらわたが煮えくり返る思いだったんだけど、あるときに六本木の坂を歩いていたらゴミ置き場にレザーのリクライニングシートが落ちてた。それを見たときに『これだ!』と思って、鉄工所に持っていって元祖拘束椅子を組み立ててもらったの。このイスにガチガチに縛ったら逃げられないって(笑い)」
――ちなみに初めて電マも使用した
「そうだね。電マは、母親が通販で買って1回も使ってなかったのが家にあって。それを撮影で使ってみたら、女のコの反応が強烈だったんだよ。まさかド○キで売られるとは思ってもみなかったよ(笑い)。あと、『イラマチオ』もそう。そのときは『強制フェラ』って言ってたけどね。女のコの頭が狂うくらいしつこくフェラチオさせたらノドの奥まで入ったの。そしたら女のコが白目をむいたまま失禁してイキまくったんだ。これを見て、鷹さんと『ノドの奥にGスポットがあるね』って発見したんだよ」
――最近、VRのAVを撮影したとか
「まだ作品の内容については詳しく言えないんだけど、62歳になって初めてVRゴーグルを着けてみたよ。そしたらいろいろと思うことがあった。VRというのは主観バーチャルの世界が全てではなくて、ガチンコのエロや変態に一番適しているね。もっとリアリティーのある生々しいエロが撮れるし、見る人が透明人間になってそういう現場を体感できる可能性を感じた」
――最後に監督にとってエロフェッショナルとは
「女のコの本当の性をさらけ出すこと。そのコの心もカラダも解放させてやること。それが本物のエロ屋だと思うよ。撮影が全部終わったときに『やって良かった』って言わせてあげたいね」
■TOHJIRO(とうじろう)1956年6月17日生まれ。高校に通いながら円谷プロ美術部に勤務。85年に「伊藤智生(ちしょう)」名義で映画「ゴンドラ」を製作。89年にAV監督デビュー。以後、各メーカーで精力的に作品を撮り続け、2001年4月に「ドグマ」を設立する。
以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/3669493/
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