戸叶和男『日本奇習紀行』

 毎年、年も押し迫ってくる時期となると、その厳しい寒さも手伝ってか、実に暗澹たる気持ちにさせられるという人も少なくないと思うが、そうした季節にあって、とりわけ独り身の人間というものは、巷の浮かれ加減とは裏腹に、その寒さが実に堪えるものである。しかしそうした中、かつてこの国には、そうした“未婚の男女”へのケアとして、一風変わった風習が行われていた地域もあるのだという。

「まあ、昔はね、農家の次男坊、三男坊なんかってなると、農作業ではコキ使われるのに、なかなか嫁のもらい手もなくて、寂しい年の瀬を過ごしていたものだからね。けど、ここいらじゃ、そういう男ヤモメや、つれあいに先立たれた後家さんやら、嫁の貰い手がない女相手にさ、手厚い保護をだね、やっていたものなんだよ」

 かつて東北地方南部のとある地域に存在していたという、“シングル男女へのケア”についてそう語りはじめたのは、今なお、当地でさくらんぼ農家を営んでいるという、阿倍善一朗さん(仮名・89)。阿倍さんの話によると、その昔、未婚や離縁・死別といった様々な形でシングルとなっている男女に対して、年の瀬になると、村人たちが“一風変わったケア”を行う風習が存在していたのだという。

「まあ、平たく言えばね、冬至の日の晩にさ、そういう独り者のいる家を、“係”となっている家庭持ちの男や女がね、訪ねてさ、夫婦のように過ごしてね、一晩を明かすっていう風習でさ。……ああ、そうそう、“そういうこと”ももちろんするよ。でないと、あまりに不憫だもの」

 阿倍さんの話によると、同村では、毎年、大晦日が迫った冬至の晩に、予めその“担当者”となっている既婚の男女が、独身者のいる家を訪ね、“一日夫”&“一日妻”として、彼らと共に過ごすことになっていたのだという。その“担当者”選びは、既婚者の間で持ち回りの状態となっていたそうであるが、驚くべき点はその内容。たとえそれがかりそめのものであっても“夫婦”であることから、夕食をともにし、雑談をすることはもちろん、夜の営みについても、通常の夫婦と同様に、行われていたのだという。しかしその性質上、女性側が妊娠してしまうことも珍しくなかったようで、その子が順調に育ち、無事に出産を迎えた暁には、一度、地域の有力者宅へと里子に出した上で、実質的には村人全員で育てるという取り決めがあったのだそうだ。

「まあ、実際、そういうことになってもだよ、女からすれば、自分の子供であるとは死ぬまで名乗れないしきたりになっていたものだからね、不憫って言えば不憫なんだけれども、そういう経験すらなしにね、ひっそりと生きて死んでいくっていう場合に比べれば、幾分マシなんだろうな、って。少なくともここいらに住んでいる人間はみんなそう思っていたハズだよ」

 そもそもで、一家の跡継ぎでもない限り、その一生涯において、不遇でしかない時間を過ごしている男性たちや、何らかの形で独り身の状態が続いている女性たちにとっては、夢にまでみた異性との一夜や、そうした行為の末に恵まれた子宝というのは、一見すると幸福な要素を持ったものであると言えるかもしれない。しかしそれが、ごくごく自然なものでないことや、その後、不自然な形で「処理」されることを思えば、当地におけるこの風習は、古くから続く日本固有の村社会ならではの、なんともねじれた性質を持った代物であると言わざるを得ないのだが……如何だろうか。

以下ソース
https://tocana.jp/2018/12/post_19163_entry.html

★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/