よく間違ってしまうのは、サービスのSならいいよねという考えで、これは善意の押し売りになりがちです。サービスとは、相手の立場に立って物事を考えることが大前提で、言うなれば思いやりの行為です。

 自分を相手の立場に当てはめて自分だったらこうして欲しいと自分の願望を押し付けるのはサービスではないし、サービスしている自分は正しいことをしてるんだといい気分になることが先行している行為はサービスではありません。愛してることを盲目的に正しいとか善意と捉えてしまうと、押し売りになっていることに気がつけません。気をつけてください。

 相手が何を望んでいるのかは本当にわかることができないからこそ、その絶望を前提として、繰り返し考え、問い、思いやるのです。その〈喘がせたい〉なら、好きが成長していくのでこのまますくすくと育ててください。

 本当に気をつけるべきは〈支配のS〉です。好きだから、相手を独占したいと考えるのは自然です。でも、独占なんかできないんです。心も体も、誰かが誰かのものになるなんて事は無いのです。その絶望を受け止められない人は、相手を支配、征服しようとしていきます。それは多くの場合、加虐性を伴います。

 好きな子に意地悪をしてしまうとか、他の人のモノになってしまうのならいっそ自分の手で壊してしまいたいとか、食べてしまいたいとか。程度の差は大きくありますが、このような欲望を持ったことがない人はいないのではないでしょうか。そういう意味では自然です。

 ただし、これは人間本来が持っているという意味の自然さではなく、今の日本社会で育ったのなら自然とそうなるよねという意味での自然です。そもそも、セックスにおいて女性が主導権を持つことに疑問を持つのは、女性が受け身であることが前提になっています。ここをスルーしている人が現在の日本には多くいます。女性が受け身ということは、男性が主導していくということであり、男性が受け身になるのはおかしいということでもあります。ここに疑問を持って、考えてみて欲しい。

 あなたの中にある支配欲は、現在の日本社会における男性性を手に入れたいというものなら、純粋な愛情ではなく、社会的に作られた欲望です。性癖の多くは、生得的なものでもなく社会学習の結果です。愛情のあり方も同様です。

 相手を自分のモノにしたいと思うのも、相手のモノになりたいと思うのも社会的な欲望です。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、愛とは、自他の尊重が前提にあり、あるがままの相手を受け入れることです。所有、支配は愛ではありません。そういう意味では嫉妬を愛の根拠にするのも違うと思います。

 新たな欲望があなたの中に湧き上がってきているのは自然なことですが、その方向性は社会的影響を受けたものです。被支配から、支配になったのだとしたら、同じ文脈上にあります。支配関係や所有関係をセックスに持ち込む価値観が普通の社会で生きる僕たちだから仕方ないと言えばそうなのですが、セックスを純粋に楽しんでいるのかというと違います。セックスが手段になってます。これは正解不正解の話ではありません。自分の欲望が、純粋に自分のものではなくなっているということです。

 欲望の方向性に正解不正解は無いのですが、出来る限り純粋な自分の欲望にすることが、心からの喜びを感じるコツです。ですが、一度目覚めた欲望をなかったことにはできないので、彼氏が対応できる範囲で満たす方向で行動に移しましょう。女性が挿入するのももちろんアリです。

 そして、どのような行為をしても、支配、所有したことにはならないんだと気づき、思いやりのサービスのS心を育んでください。万が一、自分の加虐性を愛情や芸術の名を借りて正当化してしまい、加速していくようならまたご相談ください。変態快楽の世界の言葉で回答します。言っときますけど、そちらは命がけになりますからね、ご覚悟ください。

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森林原人さん