兄者はトークも軽快でよくしゃべる。老人から聞かされたイメージとは真逆の陽キャ、社交的な人だ。世間話にもきっちり対応できる。聞けば兄者も弟者も神奈川県内の有名私立大学を卒業している。どちらも新卒で就職せずにフリーターとなったそうだが、なるほど、会話の語彙が偏らずしっかりしているはずだ。なぜ就職しなかったのか?

「就職氷河期って全然仕事がなかったわけじゃないんですよね。俺みたいにまともな大学出てれば新卒枠はありました。でもそれに見合った就職先かっていうと話が違ってくる」

 就職先はあったが、どれも小売、外食、サラ金、よくて自動車のディーラーが関の山だったと言う。確かに兄者のころはまだしも、弟者の時代は氷河期真っ只中。有名私立大学とはいってもスポーツで知られるマンモス私大で高偏差値というわけではない。苦戦は必至だったろう。実際、兄者は最初から新卒での就職を放棄、弟者は受けた企業をことごとく落ちたため、バイト先だったうどんチェーンで卒業後も働いたという。

 その後いろいろなバイトを経て介護の仕事についた。特別養護老人ホームの夜勤をしていたとのことで、スマホとにらめっこの見かけによらず仕事は出来るのだろうし、真面目なのだろう。兄者も「こいつが仲良くするかは人による」と言っていた。私も打ち解けたのは先のゲーム話からで、そっちの話しかしてくれない。自分自身のことは頑なに明かさず、代わりにほとんど兄者がインタビューに対応してくれた。

「地元がいいんだよね、知らないとこはいろいろ面倒だし」

 面倒くさがりだと自称する兄者、とにかく苦労はしたくないと言う。だから地元に住み続けるし実家にも居続けるというのだが、交通が不便なことと高齢化の加速で限界集落状態の地域も多いため仕事が少なく、県内でもせめて横浜まで出ないとまともな仕事は見つからない。通勤そのものは大学にも通っていたくらいなので隣市くらいなら苦ではないそうだ。また、これまでバイト先で社員に誘われることもあったが、「外食や小売はバイトのほうが楽だしフルで入れば金は変わらなかった」そうだ。確かに若いうちならそうだろう。実家住まいなら福利厚生の良し悪しも、それほど考える必要はなかったかもしれない。それでも不思議なのは、プライドもあるのになぜ望んで非正規なのか。

「ただ自分の楽な方向で生きてきただけなんですよ。地元でバイトして、いつのまにかずっと食って来れた。だから変える気もないし、変える必要もなかった。人間らしく生きたいんです。責任ないとこで適当に生きていたい。まあ、放蕩息子でしょうね」

 もちろん甘えている自覚はあるようだ。金持ちだから働かなくてもいいだろうが、もう40歳を過ぎたおじさんである。

「父親とは何度も喧嘩しましたよ。いまは諦めているのかなにも言いません」

 父親は東北から出て、一代で豪邸を建てた苦労人だそうだ。いまはリタイアして悠々自適の毎日、家にずっといるのでウザいという。

「前は日本中あちこち旅行や釣りに行ってたけど、コロナのせいで家にいるんです。だからスロ(パチスロ)やネカフェに行くしかない」

 とにかく父親が嫌いだという。もう45歳にもなれば父親もなにもないのではと言うと、「歳は関係ないでしょ」と言われてしまったが、40歳も過ぎたらそんなわだかまりは無くしてよいのでは。

「ずっと気に入らないんですよね、親子だって生まれてから知り合うわけで、合う合わないはあると思うんですよ。親子だからなんて信じられませんね」

 父親の話になると語気が強くなる。弟者のほうはあいかわらずスマホのゲームとにらめっこだ。「煙草いいですか?」と兄者に聞かれたのでどうぞと促す。

「母親は優しいですよ。うるさいことも言いません。仲はいいです」

 一転して母親の話になると優しい顔に戻る。そんな話の間も弟者はひたすらゲーム。だが、ふてくされるわけでもなくインタビューの場所にはいてくれるわけで、兄者と一緒にいるのが好きなのだろう。人見知りするタイプだと言うのに、良い子だ。40歳過ぎのおじさんをつかまえて良い子もないものだが、これが中高年の態度ではないことも事実だ。

「メシはそれぞれ外食とか、コンビニとか。母親がラップして作り置きしてくれてますが、あんまり食べないですね」

続く