なぜ性労働が差別されるのか。
これは「哲学的問題」として考えるしかない。
哲学的に考えると、自我というものがあり、この自我が「人権」という思想とセットになっている。
人権とか自我というのは、当人にとって「世界と同じ重さ」ということは想像できるところ。
つまり自我に匹敵する重さのものは自我しか無い。
(あくまで哲学的に言えば、だが)

ここから「恋愛」というひとつの宗教が生まれている。
恋愛という宗教は、少年漫画や少女漫画のような場所でもっとも完成した形で描かれる。

ルール1 1人の男に対し1人の女。男女は男男や女女なども認める。
ルール2 ルール1で、交際未満の仲と交際決定の仲で扱いが別れる。交際未満なら2股以上も戒律上認められる。
ルール3 交際未満から交際に移行する場合、「告白」という儀式を経ること。交際は2股以上は戒律違反とする。
    交際の状態であれば、準肉体関係は許される。肉体関係は表向きには好ましくないとされるが年齢等によっては可である。
ルール4 交際を消滅させたと社会通念上で認められる場合、交際以前に戻ることが許される。
ルール5 交際から結婚前提の付き合いにランクアップ、この時点で肉体関係を結んだ場合、「真面目な付き合い」とされる。
     さらに婚約へとランクアップも可能。それぞれ儀式を経ること。
ルール6 結婚が最上級の恋愛教の完成形の儀式となる。結婚を経て恋愛教では1人前とする。
ルール7 離婚は認める。その場合、フリーとなる。
ルール8 生涯独身も認められるが、その場合「結婚できなかった」という烙印を社会的に押される。

この少年漫画や少女漫画の世界の宗教戒律は、社会人の世界ではやや甘くなっているが、
公人(政治家や公務員)には、表向きには厳しく適用される。「先生」と呼ばれる職業では全体的にそういう通念がある。
みなし公人と言われる芸能人の世界でも昨今、遵守することが潜在的に求められるに至る。
これらの恋愛教のルールから見て、売春とは何であるだろうか。もちろん「交際」ではないのに…の理由ですべて背反行為である。
障害者や要介護高齢者から見て、売春は「自分でもはや恋愛不可能であれば」人権擁護のための介護として認められるが、
「自分で恋愛しようと思えばできる」者の場合、「交際による肉体関係」でないため、宗教戒律に違反する行いとなる。
背反行為をなりわいとするため、恋愛教の法力の及ぶ範囲では性労働者は被差別階級なのである。