緊急事態宣言が解除になった今、医療の現場はどのような状態なのだろうか。

「市中での感染者数の増加も収まり、ガウンやマスクの供給がかなり追いついてきたのと、行政機関からの支給も徐々に始まって、なんとか数ヵ月分は対応できるだけの資材が手に入るようになりました。ただ、これからまた第2波、第3波が来る可能性もありますので、無駄に消費しないよう、適正に使うことを心がけています」

今回のコロナ禍では宮家だけではなく、実にたくさんの企業や個人の方から支援していただいたと、佐藤さんは振り返る。

「ある製薬会社さんからはアルコール消毒で手が荒れるだろうからと、ボトル入りのハンドクリームをいただきました。ひと箱ひと箱に全部メッセージを書いてくださっていて、大変感激しました。また、職員が作ったガウンはポリ袋を加工しているので通気性が悪く、汗がすぐに出ます。ユニフォームの洗濯が間に合わず困っていたところ、アパレルメーカーさんからユニフォームに替わるTシャツと通気性のいいズボンをいただきました。

気仙沼のボランティア団体さんからは、今も定期的に何百枚単位で手作りのビニールガウンを贈っていただいています。垂れ幕のような大きな布に、ボランティアのみなさんが励ましの言葉を書いてくださったことも、大変嬉しかったです」

済生会中央病院は東日本大震災時、DMATを派遣して支援にあたっている。あの時助けていただいたお礼≠ニいうことで、ボランティア団体が広く声がけをしてくれたそうだ。

「支援してくださった方たちはご紹介しきれないくらいです。使えるお薬は限られていますし、ワクチンもできていないので、まだまだ気を緩めるわけにはいかない状況ですが、皆様からのお心遣いの物資を、これからも大切に使わせていただきます」

それにしても12日にガウンの作り方を送り、15日に届いたということは、なか2日で100着を手作りされたことになる。一刻も早くという秋篠宮家のお気持ちが忍ばれ、そのスピーディーさには心から敬服する。

取材日の東京は快晴。医療従事者への敬意と感謝を込め、航空自衛隊のブルーインパルスが上空を飛行した。