今回のケースに戻って考えていきましょう。

 みきさんは、彼のことを愛しているようです。でもこの感情を持ち続けていいのか、そう意志していいのか迷っています。そう迷わせている原因は、一夫一妻制の価値観に縛られているからです。縛られているのは、みきさんだけではなく彼もです。彼の“嫁みたいな存在”という言葉が引っかかるのは、制度から離れたところで関係性を築いていこうとしていたのに、制度の価値観を持ち込まれたからです。制度と感情、どちらが大切なんだと悩まされています。

 おそらく彼は、制度側の嫁という存在の彼女と、感情側のみきさんの両方を手にしたいと望んでいます。彼にとってセックスは、制度側ではなく感情側にある行為です。みきさんに対しては、制度側の関係は望んでいないのだから、感情とセックスがあれば問題ないだろうという認識になっていることでしょう。

 当のみきさんは、感情でつながっていればいいと思っていたのですが、その気持ちがどんどん確かなものになっていくにつれ、同一化願望が強まっていきました。彼の一番になりたいと思うようになっています。

 一番とは、相手の肉体と精神の独占(所有)を望むことです。独占とまでいかなくても、最優先権の確保はしたいところです。これを確かなものにするには、「私の体と心はあなたのもの」という約束をお互いに交わす必要があり、それは、限りなく婚姻関係に近いものです。

 感情を確かなものにしたくなると、制度による契約を求めてしまいます。それは、感情の本質である、常に変化し揺れ動く自由なものといったところを否定することになります。愛という感情が形式化、固定化してしまうのです。

 みきさんが彼を本当に愛しているのなら、嫁のような存在がいようがいなかろうが、愛しつづけるまでです。もし愛を制度側の形にしたいと思うのなら、それは、立場を望むということで覚悟が必要です。その覚悟は責任を負う覚悟であり、彼と当初関係を持つ時に望んでいたものではありません。人の気持ちは変化するのですから、そのように思っても間違いではありません。むしろ自然なことでしょう。

 でも、それは本質的な意味での愛ではなくなります。三者の関係が今のまま彼のことを愛する日々を積み重ねてもいいし、三者から二者で完結する関係への変化を望み、みきさんが嫁のような存在になろうとしてもいいです。自分の悩みのポイントを整理して、自身の気持ちと向き合い、みきさんがどうしたいのかを見極めてください。みきさんの望みが叶うことを願っています。

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森林原人さん