0001逢いみての… ★
2020/12/29(火) 23:12:25.62ID:CAP_USERまず、M(マグニチュード)8以上の元禄関東地震が起きたのは元禄16年(1703年)11月23日。現代の暦に直すと、12月31日の大みそかに当たり、例年なら年の瀬で賑わう東京の街を突如襲ったことになる。
「コロナ禍の日本であっても、天地動乱の巨大地震は容赦なく我々の身に降りかかるのです。元禄関東地震では、相模灘から房総半島にかけて津波の被害も発生しました。入口が狭く、中が広いフラスコ型の東京湾は津波の被害はそれほどでもないと言われますが、本所、深川、両国で1.5メートル、品川と浦安2メートル、横浜3メートル、さらに隅田川の遡上も記録に残っている」(サイエンスライター)
鎌倉に至っては14メートルの津波に襲われ、海岸から2キロ離れた鶴岡八幡宮にまで到達したそうだ。
元禄関東地震の4年後には、南海トラフが荒れ狂う。宝永4年10月4日(1707年10月28日)、東海道沖から南海道沖を震源域とする宝永地震(推定M8.4〜9.3)が発生したのだ。宝永地震は記録に残る日本最大級の地震とされる。
「この地震はフィリピン海プレートが沈み込む南海トラフ沿いで、東海地震および南海地震が連鎖的にほぼ同時に起きた連動型地震です。政府の中央防災会議でも、東海地震と南海地震が時間差で発生した地震と考えられるとしている」(全国紙社会部記者)
武蔵野学院大学特任教授(地震学者)の島村英紀氏が警鐘を鳴らす。
「次に起こる南海トラフ地震は、1944年に発生した昭和東南海地震や1946年の南海地震がやや小ぶりだったので、巨大化する可能性が高いと見られています」
つまり、宝永地震のように立て続けの2連弾になるかどうかはともかく、相当大きな地震になりそうな気配なのである。関西方面などはどこも震度6程度の揺れは覚悟しなければならないだろう。
「ここでも問題は津波の被害です。大阪、名古屋は埋立地が多く、津波に弱いですからね」(島村氏)
宝永地震では、房総半島、伊豆半島から九州にわたる太平洋側の海岸沿いばかりでなく、伊勢湾、豊後水道、瀬戸内海、大阪湾にまで津波が到達した。伊豆・下田では5〜7メートル、紀伊半島で5〜17メートル、土佐(高知)で5〜27メートルと推定されている。とりわけ、土佐では津波が11回打ち寄せたという記録が残っているほどだ。
庶民を苦しめたのは巨大地震だけではなかった。宝永地震の49日後には、富士山が大噴火したのである。その前兆はあった。
宝永地震の16時間後の翌朝は富士宮付近を震源とする強い地震(宝永富士宮地震=M7.0)が発生したのだ。この地震では江戸、富山、名古屋が激しく揺れた。そして49日後の11月23日(12月16日)、富士山の側面で大噴火が起こり、江戸では10数センチの火山灰が降り積もったのである。
噴火は約2週間も続き、非常に多くの人々の生活に影響を及ぼした。現代において、2週間、火山灰が降り積もれば、ライフラインは完全に遮断されることになる。
「現在、富士山が噴火したらどうなるのか。文明が発達し、人類はコンピューターなど文明の利器を手にしました。そして、そのコンピューターに支配されているといってもいい状態です。従って、もし富士山が噴火して細かい火山灰がコンピューターに入って使用不可になると、被害は想像もつかないほど甚大なものになるでしょう」(島村氏)
東日本大震災から来年3月11日で丸10年を迎える。コロナ禍での巨大地震は、我々に未曾有の被害をもたらすに違いない。
続く
以下ソース
https://weekly-jitsuwa.jp/archives/7283
★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/