ただ、このプライベートパーツを伝えるとき『水着で隠れるところ』として、イラストで男の子と女の子の水着姿を描いています。ただ、わかりやすくはあるものの、性の多様性やジェンダー平等の観点から見ると、『じゃあ男の子の胸の部分はどうなの?』といった疑問も生まれますね。

また集団教育で教材を扱う難しさとして、過去に被害に遭った子どもが傷ついたり、罪悪感を感じる可能性があり、そこをどうフォローしていくかという問題も。他者に触られているイラストを見ることで、被害にあったことをフラッシュバックしてしまうこともあるかもしれません。こういった配慮もひと工夫欲しいところだなと思います。

また、このカリキュラムは性暴力を中心に扱っているため、性に対してネガティブな印象が強調されています。それによって、子どもたちが性に対する恐怖感だけを刷り込まれてしまう可能性もあります。性を肯定的、ポジティブにとらえる方向の包括的性教育についても国主導で進んで行くことを期待しています」(遠見氏)

ふたりとも、検討の余地は残るが、国が、重い腰を上げて動き出したことについては高く評価し、「第一歩」を止めてはいけない、と語った。

そもそも、今年度から導入されるという、この「生命の安全教育」について、高1の息子の母である私は、まだ学校からなにも説明を受けていない(通常、新しいカリキュラムなどは学校から事前に連絡がある)。というか、私は偶然、ニュースを見つけたものの、この報道自体ネットでも一部の専門家以外ほとんど話題になっておらず、社会的には存在があまり知られていない。本来ならもっと報道されるべき事柄だと思うのだが……。

しかも、この教材には、子どもたちが性について不安を感じたり、実際に被害を受けた際の解決法として「信頼できる大人に相談する」と書かれている。しかし、教師や知人が加害者となる性被害、親からの性的虐待のケースもある中、いったい誰が「信頼できる大人」なのかというところも非常に難しい点だ。

親は、子どもを性被害から守る当事者であり、子どもが最後に駆け込んでくる「信頼できる大人」の第一候補でなければいけないはずなのに、『生命の安全教育』の内容どころか、授業への組み込み自体を知らない状態で、いきなり「信頼される大人」として「適切」にふるまえ、というのはかなり無理があるように感じる。

実際、わが子から性被害に遭ったと告白されたとき、子どもを心から心配する一方で、混乱のあまり、「あなたにもスキがあったんじゃないの?」「SNSなんてするなといったでしょ」と叱ってしまう親は少なくないだろう。私も専門家から話を聞く機会がなかったら、間違いなく息子を叱り飛ばしていたと思う。でも「被害者は悪くない」のだ。この部分を大人たちがどれだけ理解できているかは大きなカギとなる。

また、「信頼できる身近な大人」以外に、「あなたを助けてくれるところ」として、いくつか相談機関の窓口が紹介されているのだが、被害を受けた子どもが窓口に直接、アクセスして自ら相談するのは非常にハードルが高そうに感じる。

「相談窓口があるという選択肢を紹介するのはいいことだと思います。実際は、もっと身近な大人たちが子どもから信頼されて、性の悩みや不安を打ち明けられるような関係性を日頃から築いておくことも大切です。せっかく勇気を振り絞って相談した子どもの心がそこで折れてしまわないように、相談された大人が二次被害を与えずに、受け皿として機能できるように情報をアップデートしておく必要があります」(遠見氏)

やはり何よりも肝心なのは、ほとんど性教育を受けてこなかった私たち親自身も早急に、性被害、性教育について1から学び直すことだろう。

今回、『生命の安全教育』の「高校(卒業直前)、大学、一般」向けの啓発資料と、「教育指導の手引き」は、大人の学びなおしのスタートラインにもよさそうだ。

子どもを性被害から守るためにも、大人自身に大きく変わる「覚悟」が必要なのかもしれない。