0001逢いみての… ★
2021/06/26(土) 23:06:23.09ID:CAP_USERビニ本の起源とされるのが1971年。60年代後半から海外のポルノ雑誌を輸入販売していた松尾書房という出版社が、自社から本格的なグラフ誌である『下着と少女』を創刊したのが始まりだ。内容こそカラミもなくソフトだが、画期的だったのが女性の下腹部。下着こそ着用しているものの、その向こうにうっすらと茂みがぼんやりと透けて見えたのである。
これが世の男性に与えた衝撃はすさまじく、創刊号は実に25万部を売り上げた。同誌はシリーズ化し、次々と他社も参入。ここにビニ本という一大ジャンルが誕生したのだった。
ビニ本のヘアに対するアプローチは“出さず”に“見せる”というもの。ほどなくして、それまで木綿の分厚い生地だった下着の素材をあえて薄手にした「透けパン」という手法が開発された。さらに鮮明に確認できるようになったヘアは大きな反響を呼び、1980年前後にビニ本業界は最盛期を迎える。しかしその後は、非合法の裏本の台頭や、当局によるビニ本業者の摘発などが相次ぎ、1986年ごろビニ本は歴史に幕を下ろした。
日本有数のビニ本コレクターとして知られる斉藤修氏は、当時の熱を鮮明に覚えている。
「その頃は陰毛の存在すら感じさせてはいけない時代。女性の下腹部は真っ白でなくてはいけなかったんです。そこに黒い影が見えたときは、何かの間違いじゃないかと思いましたよ」
短期間のうちにエスカレートしていったのもビニ本シーンの特徴だ。
「“透けパン”が編み出され、さらにパンティではなく薄いベールで局部を覆っただけの“ベール本”が登場。しまいには透明なビニールをまとっただけのモデルも現われた。次々と過激さが更新されていた頃は、大げさではなく毎日店に通い詰めないと買い損なうという感覚がありましたね」
摘発ギリギリの存在という危うさもあったが、意義は大きいと斉藤氏は言う。
「ビニ本の利益でAV制作会社になったところも多い。ビニ本は性表現に風穴を開けた存在だったと思います」
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20210626_1669791.html
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