【教育】正義なら悪をやっつけてもいいのか 誹謗中傷などしない大人が知っている「正しさ」を子供に教える方法[08/05]
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前回の記事『幼児期の接し方がカギ。「誹謗中傷を繰り返す大人」にしない教育とは』でオリンピックのメダリストへの誹謗中傷について触れ、そのような大人にさせないためにはどうすればいいのかを紹介した現役小学校教諭で無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者である松尾英明さん。今回も引き続きオリンピックの炎上に関連して「正しさとは何か」に論点を置き、子供たちへの教育について語っています。
前々号に続き、オリンピックの各種炎上対策について、学校教育のできることを考える。
大分前にも書いたが、教室でも悪口をわざわざ広める行為が見られることがある。これを「悪口の郵便屋さん」と教える。
「あの人がこんな悪口言ってたよ」といちいち本人に教えに行く子どもがいる。もちろん、単に意地悪で行っていることもあるが、実は親切心からということもある。これは大抵、言われた本人から相談が来て、その後個人的に指導して対策がとれるからまだいい。
教室のみんなの目の前で大声で「○○さんがこんな悪いことしてましたー!」と叫ぶ場合がある。これがいけない(身体的なことや恥ずかしいこと、プライバシーに関わること等だと大変である)。
何より、叫んだ本人がこれが「いけないことだと思っていない」という場合が一番の問題である。つまり「正しい」ことだと本気で思っている場合である。そうでなければ、先生に対してみんなにも聞こえるように大声で叫ばないのである。本人的には、正しいことをして認められたい、褒められたいのである。
問題の本質は「正しいこと」への扱いである。「正しいことなら相手を攻撃してもよいか」ということである。社会的に見た場合の究極は死刑の是非、公開処刑の是非、そして戦争の是非である。
まず、正しいことは絶対に正しいという認識の誤りが不幸を生む。すべての正しさとはあくまで自分の思い込み(信念)に過ぎないということ。これを教える。
これも何度も書いているが、正しさとはその場、その状況において180度変化する。
玄関で靴を脱ぐというのは、あくまでも日本における正しさである。服装や言葉遣いはTPOで正しさが全く変わる。
例えば「給食は残さず全部食べるべき」なども学校神話として語り継がれてきた正義の一つである。戦後間もない頃には、そもそもこの議論さえない(食糧自体に困窮しているので残さない)。状況にもよるが、飽食の上、宗教含め多様な子どもが在籍する今の時代には、まずそぐわない正義である。
宗教が違えば、当然正しさは変わる。宗教戦争に終わりがないのは、正しさと平和の認識の違いからである。正義のヒーローは、やっつけられる「悪の組織」の側の家族からすれば、確実に悪である。
次に、それを直接裁いたり罰したりしてはいけないということ。ここも教える。(いわゆる私刑、リンチであるが、言葉としては教えない)。
社会で言うと、スピード違反や路上駐車違反を罰することができるのは、警察だけの権限である。一般人には、それを捕まえてどうこうはできない。せいぜい、それで直接困らされている住人が助けを求めて警察に通報するところまでである。
基本的に、ルール違反はルールを定めた立場の人間に権限があり、対処する義務がある。道路交通法であれば警察に権限があるし、学校のルールであれば、教師である(逆に言えば、子どもたちが自治的に決めたルールなのであれば、そこに教師が直接対処するのは誤りである)。
だから、ルール違反だと思う人を見つけても、それをみんなに知らせたりやっつけたりしてはいけない。まして、正しいからと私的に裁いて罰することは、それ自体が違法行為である。
続く
以下ソース
https://www.mag2.com/p/news/506978
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http://mercury.bbspink.com/avplus/ オリンピックのようなスポーツの場合、審判がいる。不当なジャッジだと思ったら本来抗議するのは本人たちであって、周りではない。
普段は愛国心と聞くだけで毛嫌いする人でも、オリンピックだと急にナショナリズムが働く。赤の他人の問題に首を突っ込もうとしてしまう。そこに「正しさ」があっても、ジャッジも結果も他人のことであり、本来自分とは無関係なはずである(今まで、その選手のために自分が一体何をしてきたのかである)。
SNS上の炎上騒ぎは、この「○○さんがこんな悪いことしてましたー!」と同じ行為である。
相手がオリンピック選手でも芸能人でも同じである。オリンピックは先のナショナリズムが働くらしく、普段大人しい人も暴れ出しやすいようである(何度も言うが、自分がどこの国の人間だろうが、どのオリンピック選手とも無関係である)。
子どもに教えるべきは、正しさとはあくまで一面的であるということ。個人的に悪いと判断し思ってもいいのだが、勝手に広めて騒がないことである。これからの学校のICT教育が担うべき部分の一つがここにある。
道徳教育の混迷もここにある。多様性を認めると、正しさの軸がぶれる。正しさの軸を決めると、多様性に対応できなくなる。結果的に、ブレまくりの揺れまくりである。つまりは海上を進む船のごとく、揺れながらバランスをとるというのが現実的である。
個人的には、自国を含め、どの国がメダルを何個とったかにはあまり関心がない。全ての国の選手が気持ちよく競技をして欲しいというだけである。
グローバルスタンダードというからには、自国びいきで競技を楽しむことはあっても、どの国も大切にする姿勢が欲しい。やられたらやり返すは、終わりなき戦争の発想である。8月6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして15日が来る。それまでに、SNS悪口オリンピックの方は早々に閉会して、本物のオリンピック競技の方を気持ちよく見たいと願うばかりである。 毒をもって毒を制するバランス補正は、
毒が正義か悪か、単なる力や薬品かという問題とは別かな。 逆に言えば、子どもたちが自治的に決めたルールなのであれば、そこに教師が直接対処するのは誤りである
いじめを暗に肯定してね。 ルールに守ってもらうためにルールを守るんだよアホめ
不法行為を指摘しないのは自分も不法行為する為なんだわ
正義であり続けることは正しさの追求に他ならない >>1
「正義を押し付けるな」というお前の正義を押し付けるな 悪と無知が、自己快のみを見ている衆愚を利用して一緒に蔓延していく時代だな。
害ある言動をしている人を正当に批判したり彼らに怒りを発すれば、
「誹謗中傷するな」とか「嫉妬だろ」とか「正義をふりかざすな」とか「ヘイトをふりまくな」とか、
「あやまったら過去のことをいつまでもいうな」とか「批判するのはイジメ、ネットリンチ。自殺したらどうするの?」とか、
「楽しい事だけ発信するやさしい世界を」などと、
他人を不愉快にする人ほどモラルハラスメントによって良識を抑圧しようとする事が多くなっている。
そういうやつらのファンも一緒になって、「批判する側が悪い」とすることが多くなっている。
個人主義という名でエゴイズムを肯定し、
自己責任という名で他者への敵意を正当化したことが、
自分の利と快だけを追い、それを邪魔する者を敵とみなす原因となった。
それらを「多様性」だとか「価値観の尊重」とかいって保護して淘汰できずにきたので、
お金を稼げること=優れた良い事、という短絡的な拝金主義もはびこる原因となった。
この状況が、お互いの憎しみを生みやすい原因となり、
日本も良心が搾取され、性善説では穏健に生きられなくなった。
他者間コミュニケーションにおいて海外のようなディストピアとなりつつあるわけだ。
彼らは、他者を思いやるというリソースをさかないし、
社会的な影響も考えず、自分にとって利益があるか、自分が周りからどう見られるかという観点だけで言動を行う。
彼らが一見良い事をいうのは、自身がいい人に見られて自分の利益になる場合だけだし、
自分にとって都合の悪い意見なら、上記のようなモラルハラスメントで削除&抑圧して、無きものにしようとする。
その人間性のない態度を武器とし、
他者のことを思いやったり社会的な影響を考慮する人の良心を搾取し、出し抜いて、自らの利益を拡大していく。
この構造があるために、悪がはびこり、要職に劣悪な人物が就いて、社会が劣化していくのを止められないでいる。
こういう人でなしには正当な論理の提示は無意味。
人でなしは、「論理を提示して納得してくれれば相手も分かってくれる」という、
人のやさしさや信頼感を逆手に取ることを武器としているわけだからね。
そういった類の人へいかに対処していけるかが、今後の人類の課題だと思う。
彼らを野放しにしたままだと社会の中で彼らが要職につくようになり、腐敗したままだからね。
成人するまでに社会へ憎しみや敵意やコンプレックスをもった者が人でなしになりやすい。
彼らは影響力や富を拡大することで自己実現をし、社会を見返そう、復讐しようとするがためにそういう意識になる。
今日も必死に影響力と金を求め、愚者を利用して拡大していこうとやっきになっている。
同時にそういう悪影響が広がっていく事に対しての良識派のイライラも、社会に蔓延していってるね。
「注目(金)を集めればそれは正解」とされるような拝金主義のゲスな奴らがいて、
その周囲にそれを肯定する人間自体も多くなっていて気味が悪い。
金や注目さえ得られればどんなことだってするやつらと、
自分の快さえ得られればどんな態度だって肯定する軽薄な奴らが一緒になって、
現代の不愉快を作り出していってる。
「社会の表舞台に出てくるべきではない人物リスト」のようなWEBサイトを作って、
彼らが表舞台で大手を振って歩くべきではない理由と、
その根拠として彼らのこれまでの言動一覧、
彼らを使う番組スポンサーなどを記録したサイトがあると、無知な人にも誰が害悪か判別しやすくて状況は改善されるかもしれない。 ああ、こんなこと書いちゃった。
松尾某「正しさとはあくまで一面的である」。
どうしようかね。
この松尾某の言説は「正しい、正しくない」との評価にさらされるだろうか。
さらされたら自己言及の矛盾に突入する。
あるいは、この言説は他者の評価を拒むのであろうか。
馬鹿でないだろうから、自分で論理的に矛盾したことを言っていることはわかっているだろう。
それでいてそれで飯を食おうとしている。
自分で矛盾したことを言っていることがわからないほど馬鹿なんだったら、あとで恥をかけばすむだけだけどなあ。
これ、どう収拾をつけるつもりなんだろうな。 >>9
日本がディストピアになりつつある!と言う輩の代案が正にまんまディストピアでウケるw 小山田氏は気の毒な面があるが
あの開会式のてんやわんやで
もう著名人や芸能人は公のイベント参加して
公金貰うって自体は
避けるようになるだろうな
過去蒸し返され謝罪してみたいな
のに巻き込まれるの勘弁願いたいだろうし
まぁ結構なことだわ 論理矛盾や過去の発言との整合性の無さ
ってのはどうすればいいのか?
「お前昔反対のこと言って(やって)
いたじゃねーか」
って指摘は正義の押し付けかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています