0001逢いみての… ★
2021/08/18(水) 00:43:13.73ID:CAP_USERG1ミスターDステークス(芝10ハロン)は単勝5番人気のトゥーエミーズが先手を取り、6ハロン1分16秒64、マイル1分40秒62というスローペースに落とし楽々と逃げ切り勝ちを収めた。G1を2連勝中、単勝1.4倍の1番人気のドメスティックスペンディングは4番手から追い込んだが首差及ばず2着となった。
日本の海外競馬ファンでもトゥーエミーズという馬名は聞いたことがない人がほとんどであろう。そもそも「ミスターDステークスって何だ?」という人も多いかもしれない。
答えを言うと、2019年までのアーリントンミリオンが、今年はミスターDステークスとして施行されたのである(2020年は新型コロナウイルス禍で競走が実施されず)。
ミスターDステークスの「D」は、アーリントンパーク競馬場を買収した投資家のリチャード・ダチョウソワ氏にちなむものだという(NBC CHICAGO:Final ‘Arlington Million,’ ‘Mr. D’s Day’ Event Set For This Weekend at Racetrack)。
このアーリントンパーク競馬場は地域の再開発計画が進む中、所有するチャーチルダウンズ社が売却を決定、今年9月25日の開催を最後に閉場されることになった。1927年の開設から94年、名門競馬場は姿を消すことになる。
アーリントンパーク競馬場の閉場は、20世紀の競馬を知る者には寂しさを感じさせるものであろう。この競馬場の最大のヒットは1981年に創設した世界初の総賞金100万ドルのアーリントンミリオンである。当初はスポンサー名を冠してバドワイザーミリオンという名称だったが、1987年からアーリントンミリオンに変更となった。
当時としては破格の賞金、しかも米国では主流ではない芝のレースとあり欧州から米国に移籍しての参戦や遠征も少なくなく、格の高いレースだった。優勝馬はジャパンCに遠征することが多く、1991年の優勝馬ゴールデンフェザントは、当時、国内で無敵だったメジロマックイーンを差し切って優勝している。
当時のアーリントンミリオンの優勝馬を見ると、ゴールデンフェザント以外にも、ディアドクター、スターオブコジーン、パラダイスクリーク、アワッドなど、来日し、さらに日本で種牡馬になった馬も少なくない。
そうした状況から、1980年代後半から1990年代前半にかけて、競馬担当記者にとって観戦したいレースの1つがアーリントンミリオンであり、僕もそうだった。当時、サンケイスポーツで岡部騎手の番記者だった栗原純一記者が海外競馬に詳しく、よく話を聞いたものである。ある時、栗原記者がこう言った。
「アーリントンミリオンってさ、スタートしてすぐにカーブなんだよね。そんなコースでよくG1レースをやるよな。アメリカはそういう国なんだろうね」
当時、海外のレース映像も満足に見られない時代、(ああ、そうなんだ)と妙に感心したのを覚えている。そうしたコース形態でありながら高い格を誇るレースを「生で見たい」という思いはより強くなった。
2002年には武豊騎手がチェシャーという馬で8月17日に行われたアーリントンミリオンに参戦(7着)、レース終了後、すぐに飛行機で大西洋を渡り、翌18日に仏ドーヴィル競馬場でジャックルマロワ賞にボウマンで参戦して6着となっている。当時は競馬担当を離れていたが、欧州のトップジョッキーと一緒にジェット機で大西洋を横断し、時差を克服して2日連続で米仏のG1レースに騎乗する武豊騎手を何となく誇らしく感じたのを覚えている。
続く
以下ソース
https://reiwa-kawaraban.com/overseas/20210817/
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