0001逢いみての… ★
2021/08/27(金) 22:45:12.07ID:CAP_USER代々木忠監督は「ヨヨチュー」の愛称でファンから愛されてきた
『ドキュメント・ザ・オナニー』『性感極秘テクニック』で注目を浴び、アダルトビデオが誕生した1981年から業界を牽引してきた巨匠・代々木忠。通称「ヨヨチュー」としてファンから愛されてきた代々木は、御年83歳となった今年「引退」を決意したという。
「アダルトビデオを撮ることになった時、心から撮りたいものは何だろうって考えました。僕はやはり、芝居や演技ではない、ありのままのセックスを撮りたかったんですね」
代々木がアダルトビデオ監督に転身した1981年は、一般家庭でのビデオデッキ普及率がようやく10%を超え、業界の主流がピンク映画からAVに移り変わる、まさに時代の転換点だった。この年、初AV作品となる『淫欲のうずき』(主演・愛染恭子)で大ヒットを記録。『いんらんパフォーマンス』『ザ・面接』などの代表作で、一般から芸能界まで数多くのファンを獲得し、約40年、カメラを回し続けてきた。
ところが、昨年6月に撮影した『ザ・面接VOL.166 ソーシャルディスタンス大性交』が事実上の“引退作”に。それから新作を撮ることはなく、今夏、静かに決意を固めた。代々木の監督人生40年を、本人の言葉で振り返る。
「愛染恭子の1作目は、僕自身はまったく面白みを感じなかった。それまでのピンク映画と同じ撮り方で、パッケージに『本番生撮り』と謳ってても、要はお芝居でしたから」
デビュー作に満足しなかった代々木は翌1982年、業界の前例を打ち破る「本番撮り」を試みた。
「ある女の子で本番を撮ろうとしたら、直前になって『私できない』と言い出した。『じゃあオナニーならできるかい?』と。ところが、これが想像以上にワイセツだったんです。女の人が自ら、こんなふうにアソコを弄るのか、って」
『ドキュメント・ザ・オナニー』の誕生だった。このシリーズでとりわけ人気が高いのが『Part1主婦・斉藤京子』だ。
「彼女は本物の主婦だった。彼女にバイブを差し出すと、食い入るように見つめた。恥じらいながら、自らクリトリスに当てるんだけど、それからはもう止まらなくなる。パンツにシミが溢れ出し、僕もスタッフもみんなが勃っちゃった。女の実態を見せつけられたわけです」
代々木が語る「女の実態」──その原体験は、九州・小倉で過ごした幼少期まで遡る。代々木が10歳になった1948年のことだ。
「僕が預けられてた祖父母の家が、進駐軍向けの売春宿で、夜になると米兵と女郎さんがヤッてる。昼間の優しい女郎さんと、米兵と絡まる女郎さんが同一人物とは思えなかった。衝撃的な光景で、いいとかいやとか判断できない次元でしたが、本能の部分ではどこか共鳴していたのだと思う」
戦後の「その日を生きるので精一杯」(代々木)だった日々が過ぎると、23歳で極道の世界に入り、ストリップの興行を任された。
「一座に女の子が12人、それが12チームあって、上手く束ねていかなければならない。彼女たちを性的に満足させるのもお勤めだった。一座には男が少ないから、お勤めに行くと2〜3回は要求されるでしょう。この時に女の凄さを感じましたね」
続く
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20210827_1686836.html
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