0001逢いみての… ★
2021/10/07(木) 22:53:33.67ID:CAP_USERSG優勝12回、SGグランプリ優勝3回、通算獲得賞金は38億円超と、他の追随を許さないボートレース界のレジェンド・松井繁。
松井 繁 平成元年のデビューから程なくして「王者」と呼ばれるほど実績を積み上げてきた男は、今年、52歳を迎える。平成から令和にかけて、ボートレース界のトップクラスに君臨し続けてきた男の素顔に迫った。
――松井さんがボートレースの世界に進んだのは、人の勧めだったと聞きます。
松井:そうね、親父が寿司屋を経営していて、そこの従業員の方から「ボートレーサーに向いてるんじゃないか?」って勧められたのがきっかけですね。モータースポーツとか車とかすごく好きやったし、レースをすることには興味があったんで、じゃあ「やってみよう」って。
――もし勧められてなかったら、家業を継いで「寿司職人の王者」になっていたのでしょうか。
松井:いやいや。握ってないね、包丁持つのも苦手なんで(笑)。だから養成所を受けることに決めたというのもあるんですよ。父は反対はしなかったけど、なれるとは思ってなかったみたいですしね。でも結局、養成所の試験は一発で合格できてしまった。
――養成所では同期に、松井さんと同じく、ボート界を背負って立つことになる服部幸男さんもいました。
松井:服部は最初からいきなり活躍していて当時から意識していたし、今でも意識してる存在。お互い頑張って少しでも上にいけるように……って話してます。
――服部選手といえば「水の上では先輩も後輩もない」というCMでの名フレーズが脚光を浴びました。
松井:もちろんレースでは先輩も後輩もないから当然なんだけど、ただ、それは水の上での話だからね。普段の生活ではやっぱり先輩も後輩もあるよね。だからあのCMのおかげで、服部もいろいろ言われたんじゃないかな(笑)。
――とはいえ松井さんもデビューから1年半の早さでA1級に昇格。順調に成績を残しました。「ボートレーサーとしてやっていける」という確信を持てたのは、その頃なのでしょうか。
松井:もちろん、最初からこの世界でやっていける自信があったわけじゃない。その自信がついたきっかけは明確に覚えているんだけど、初めてグランプリに出た’95年の5月に出場したオール大阪という一般戦でしたね。
この時代はまだモンキーターンが生まれて間もない頃だったから全選手ができるわけじゃなくて、僕もずっとモンキーの練習はしていたんだけど、頭と体が一致していないというか、自分の思うようなターンではなかった。でも、この開催でようやく納得のいくモンキーターンができた。この時やね、「やっていける」って思ったのは。
――ボートレースを語る上で必ず出てくるモンキーターン。モンキーターンとそれまでのターンはどんな違いがあるんでしょうか。
松井:もうね、モンキーターンをやってみると、それまでのターンとはまるで別物という感覚だった。普通のターンとモンキーターンの違いって、例えれば、車でカーブを曲がるときの雨の日と晴れの日の違いといえばわかりやすいかな。モンキーターンなら滑らず小回りできるイメージに近い。
――モンキーターンは今でこそ当たり前ですが、当時はまだできる選手も少なかった。しかし少しでも速いターンを追い求めたと。
松井:とにかく勝つためにモンキーターンは「絶対に必要」と思った。「できた!」と感じる前も「たまたまできた」っていうことはあった。でも、たまたまじゃダメでしょう。あの頃は「常にできる」を追い求めなきゃいけなかった。もう努力するしかない。勝つためにはその努力でなし得たこと、つまりモンキーターンを当たり前にできるようになることしかなかったんですよ。
続く
【Sigeru Matsui】
’69年11月11日、大阪府生まれ。’89年にボートレーサーとなり、’96年にSG初優勝。その後SG12回、G1優勝57回など、51歳の今もSG戦線で活躍する「王者」。10月26日からボートレース平和島で開催されるSGボートレースダービーにも出場予定
以下ソース
https://nikkan-spa.jp/1784471
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