【夫婦】家事の分担は稼いだ額で決まるのか モラハラ夫の反省文 「私は家政婦じゃない」という妻の訴えを理解できない夫たち
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―[モラハラ夫の反省文]―
DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。
僕自身もDV・モラハラ加害者です。そのせいでたくさんの人を傷つけ、仕事や家庭が破綻寸前になり、ようやく自身の加害行為、それを生み出す加害的な思考・価値観を自覚しました。現在は日々自分の言動を改善しながら、妻と関係を再構築させてもらっています。
この連載では、僕自身の経験や当事者会での気づきを共有していきます。職場や家庭でモラハラに苦しんでいる方々、無自覚に加害を行っている方々の参考になれば幸いです。
GADHAでは毎月、メンバー同士での相談と回答が数百にも及びます。その中には、よく出てくる悩みもたくさんあります。その1つが「家事の分担」についての悩みです。
・「自分は妻の2倍稼いでいる。だから妻の方が家事分担を多くするべきだと思うのだが、違うんだろうか?」
・「妻が同じくらい稼ぐんだったら、自分が同じくらい家事分担するのもわかる」
・「自分は安い家政婦/飯炊き女じゃない、と言われるのだがよくわからない」
という内容です。
いろんな場面で議論になる「稼ぎと家事分担問題」について、GADHAではどんなふうに考えているかを紹介します。
この問題を考えるために、一番最初に聞く必要があるのは「もしお金がたくさんあって外注することで家事が完全に回る場合、パートナーを不要と考えますか?」という質問です。
ほとんどの人は、そのように考えないのではないでしょうか。考えるのだとしたら、離婚も真剣に検討したほうが良いかもしれません。
ここから先は「パートナーを不要だと考えない」人向けに続けていきます。
家事は外注したら費用が発生するので労働と考えます。するとパートナーを不要だと考えない人は「僕たちは労働の交換のために一緒に生きているのだろうか?」への答えがNOになるということです。
「僕たちは労働の交換のためだけに一緒に生きているわけではない」とすると、それ以外に家庭やパートナーシップにはどんな目的があるのでしょうか。
それを考えるとき、僕がよく以下のようなことを例に出します。
1.業者に自分の好みを事前に伝えておいたら、煮魚が届いていた
2.パートナーが自分の好みを知っていて、煮魚を作ってくれた
僕はこの2つに、決定的な違いがあると考えます。
後者には「この自分」のために作ってもらえた、という確信があります。前者にそのように感じる人はいないでしょう。それは単に自動販売機で飲み物を買うのと同じことだからです。
自分のことを知っていて、大切に思ってくれている人が、この自分のために生きてくれているということ。
そこには金銭に換算不能な何か、私たちが普段の日常ではあまり言語化していない「金銭とは異なる価値」が生じているということです。
そこには「この私」と「このあなた」という固有の関係があります。業者に頼んだとき、そこには「顧客ID」「注文情報」「送り先」「お届け日」といったデータだけがあります。
転じて、お金を稼ぐという行為にそのような「金銭とは異なる価値」はあるのでしょうか。僕は、無いと考えます。ただ稼いでくるだけでは、それは外部からお金を獲得してきた「だけ」だからです。
ではどんな時に「金銭とは異なる価値」が生じるのでしょう。それは前段の例と同様「このあなた」へと向かう固有な使い方がなされているときです。
お金を稼いできた人が、その使い方を「おれが稼いできたのだから俺が決める」のであれば、そこに「金銭とは異なる価値」はありません。
「金銭とは異なる価値」は、金銭では買えません。よって、もしも自分は「金銭とは異なる価値」を受け取っておきながら、自分は金銭を提供しているだけなのだとしたら、それはもらいすぎなのです。
「金銭とは異なる価値」は、交換することによってしか持続しません。よって、もらいすぎな状態はいつか必ず持続不可能になります。それは見えづらい搾取なのです。
続く
以下ソース
https://nikkan-spa.jp/1798919
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http://mercury.bbspink.com/hnews/
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http://mercury.bbspink.com/avplus/ 僕は「夫はATM」と「妻は家政婦」という考え方は表裏一体のものだと考えます。それにはどちらも「この私」と「このあなた」という視点が完全に欠落しているからです。
それはまさに「労働の交換以上のことが何も無い関係」です。
よく「自分は家政婦じゃない」「飯炊女じゃない」とパートナーから言われる加害者がいます。それは、まさに上記の様な理由なのです。
相手が喜ぶと思って作ったご飯や、家庭のさまざまな「金銭とは異なる価値」を当然のものと消費された時、人は「自分でなくても良いではないか」と思うのです。
それは交換が行われていないからです。そこには依頼と感謝がないからです。依頼と感謝がないとき、そこで生じるのは忖度の要求です。
つまり依頼もせず感謝もしないが、相手が自分を満たさないことは不当であり怠慢であり間違っていると考えるのです。
「このくらいやって当然だろう」「なぜやっていないんだ」「言わなくてもわかるだろう」「このくらいもできないのか」といったように。
お金を稼いでくることと家事分担の問題を考えるときに、考えなければならないことは以下です。
1.家事と労働を金銭的なものに完全に置き換える時、そこには2人が生きていることの間にある「愛やケア」を捉える視点が完全に欠落します。
2.その視点を持たない人間は、他者と親密な関わりを持つのをやめ、すべて業者に頼むべきだということです。
二人の関係、あるいは家族に業者以上の何かを求めるなら、「労働の交換」だけではない何かを求めるなら、そこには「金銭とは異なる価値」を自分もまた相手に提供する必要があるのです。
多くのパートナーシップにおいて、家事の分担が問題になっているとき、究極的な論点は「金銭とは異なる価値が私たちの間にはあるから一緒に生きているのだと、あなたは思っているか?」ということだと思います。
お互いをATMとも家政婦とも思わない「この私」と「このあなた」として生きていきたいと思っているのか、という問いなのです。
その結果として家事の分担になることもあれば、依頼と感謝の徹底や、自分が稼いできた「ただのお金」を、相手の求める使い方を尊重することで「あなたと生きるためのお金/労働」に変えることになることもあるでしょう。
そういう話をすっ飛ばして「稼いだ金額を家事の分担の比率にしよう」というのは、根本的に「誰かと関係して生きる理由」を間違って理解しているのだと思います。
<被害者のためのDV・モラハラを見抜くポイント>
もしもパートナーが「誰のお金で飯が食えているんだ」「お金を稼いできてるのは自分だから使い道も自分で決める」というように、あなたがもうすでに提供しているものを軽んじる態度の場合は、気をつける必要があるかもしれません。
これまで「別れるんだったらこれまでに使った金を返せ」と言われたことはありませんか? これはまさに「自分が受け取ってきたもの」に無自覚な人が言うことです。もう受け取っていることを自覚できない人と生きることは、持続不可能な被搾取関係に生きることです。「最近、相手に優しくしたいという気持ちがなくなってきた……」と感じていたら黄色信号です。
<加害者のためのDV・モラハラを自覚するポイント>
非常に多くの加害者が、実際にパートナーが別居や離婚を申し出ると非常に苦しみます。孤独な朝にも、孤独な夜にも耐えられないのです。それは、単に労働の交換をしていたわけでは無いことの明確な証明です。誰かが自分のことを思ってくれていること、日常の生活を誰かと営めること、苦しいときにそれを話せたり、嬉しいことを共有できる人がいること自体が、人の幸せなのです(そう感じない人がいてももちろん良いですが、もしそうなら外注で全てを済ませるべきです)。
もしもあなたが「相手は自分をATMだと思ってる」と考えるとしたら、あなたは「自分は相手を家政婦だと思っていないだろうか」と問い直してみてください。
そして、いざ誰もいない家に一人で帰り、朝起きて、また仕事に向かい、また帰ってきて…という生活をするとして、そこに言葉にならないほどの悲しみ、虚しさ、働く意味の欠如を感じるなら、あなたはもうたくさんのことを受け取っていることに気づけるはずです。 妻の4倍稼いで家事をほとんどやってるんだけど
もしかして俺は妻からDVを受けている? 独身のワシに言わせれば、
夫婦双方が打算目的で結婚したと自覚してる時点で
永遠を誓った純愛はすでに枯れてるんだよ 読んでないけど女性様に都合の良いように分担すべしみたいな話でしょ間違いなく
進歩的だね(嗤) 毎食調理代金やトイレ使用料を払うようにしたら
で宿泊費は家主に払うとかにすれば公平なのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています