0001逢いみての… ★
2022/04/13(水) 23:20:05.36ID:CAP_USER大本の理念が誤っているとは思わない。悪意のない偏見は厄介だし、時代とともに変質していく世界にあって、表現の領域だけが例外ではあり得ないから。
とはいえ最近の、特にジェンダーをめぐるポリコレは、ほとんど暴力だ。両性を分ける発想のすべてが絶対悪で、中性以外の人間は存在を許されないような、そんな空気さえ漂ってはいないか。
今や、妻だけが料理をしているシーンのあるCMは確実に炎上し、放送中止に追い込まれる。同様の奔流がテレビドラマや漫画など、あらゆる創作物に及びつつある“感じ”が怖い。いちいち実例は挙げないが、制作側の萎縮や時流への媚び、へつらいがモロに伝わってきて、痛々しくも、悲しい思いにさいなまれているのは、ひとり筆者だけでもないはずだ。
以上のような趨勢には、もちろん批判も少なくない。ただ、その大部分は保守派によるリベラル叩きの文脈にある。多数派と少数派の対立を過剰に煽るポリコレの主たちは、伝統的な価値観や現行制度の破壊、さらには全体主義体制への転換を最終目的とするマルクス主義者だ、などという具合に。
だが、事はそういう問題だろうか。私はポリコレの横溢に、マルクスよりは新自由主義イデオロギーの後ろ盾を見る。
そう考えるようになった発端は、かなり以前の、竹中平蔵氏にも連なる新自由主義経済学者との雑談だった。
「私はフェミニストの先生方と親しいんですよ。なぜって、男の稼ぎだけで家計が成り立つようでは企業が持たない。女性にも働いてもらって、だけど総額人件費は増えない状態がベストですね」
彼の言葉を近頃しきりに思い出す。調べてみると、はたしてこの間、哲学者のナンシー・フレイザーを中心に、家族賃金(男の賃金で妻子を扶養するモデル)や文化的な性差別批判に傾いたフェミニズムが、賃金を抑制し、雇用を不安定にする新自由主義に取り込まれてしまったとする議論が、かなり展開されていた。
行き過ぎたポリコレがもたらすものは、むしろ多様性の否定である。保守かリベラルかの問題とは違う。前提となる条件を整備したうえで、人の生き方も表現も、お互いそれぞれの意思と責任で、好きなようにすればよい。
以下ソース
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/303801
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