0001逢いみての… ★
2022/05/03(火) 22:46:29.27ID:CAP_USER「お待たせしすぎたかもしれません」「ナイスですね!」。往年のセリフが、ドラマ『全裸監督』(Netflix)のヒットで蘇った。モデルとなったAV監督の村西とおるさん(73才)も忙しそうだ。
【表】1948年:福島県で生まれる〜 村西とおる監督の人生年表
「おかげさまで大変な人気者になりまして、そのうち村西とおるの二万円札ができるんじゃないかとの噂もあるとかないとか(笑い)」(村西さん・以下同)
裏本制作販売の成功→逮捕・倒産、AV制作の成功→逮捕・倒産と村西さんの人生は、文字通りジェットコースターだ。何度も立ち上がるバイタリティーはどこから来るのか。
「失敗をリスクとするか、糧とするかで捉え方が違うんじゃないですか? 『禍福はあざなえる縄のごとし』というように、いいときもあれば悪いときもあるでしょう。何が吉で凶となるか、結果はその瞬間ではなく、数年、数十年経ってみないとわからない。だから、どんな失敗もありがたいと思ってきたんです」
その例が1986年に15名のスタッフとともにハワイの別荘で撮影中に逮捕されたことだ。
「66の罪で起訴され、懲役370年を求刑されました。4回死んでも日本に帰れない年数です。必死で裁判をして、司法取引で日本に帰ることができましたが、死んでしまいたいとも思いました。でも、35年後、『こんな愚か者がいたのか!』と、Netflixの目に留まることになりました」
1992年には、50億円の負債を抱えて倒産してしまう。
「ここまでくるとほとんどの人は終わりですよ。私も逃亡したかったくらい。でも、逃げなかったのは、私が真面目だとか誠意のある人間とかじゃないんです。たまさか保証人になってくれた人の家庭までめちゃくちゃにしてしまう恐れがあったから逃げなかっただけ。死に物狂いで働いて20年あまりで返済しましたら、世間の評価が『逆境に強い男』に変わり、いろいろなお仕事から声をかけてもらえた。どんなに最悪の事柄も、“いつか財産になる”と言える思考性が、自分の運を決めるんですね」
浮き沈みのなかで健康も取り戻したようだ。
「私は『ダイヤモンド映像』という、最大年商100億円のAV会社を経営しておりました。あのままだったら、毎晩酒池肉林の大騒ぎをしていたでしょうから、会社が残っていたとしても、私自身は病気で死んでいたと思います。倒産後は地下鉄代もなく、三軒茶屋から四谷まで3時間かけて歩いたこともございました(笑い)。しかし、このウオーキングで体が鍛えられ、節約もできましたから、何がプラスになるかわからないよ」
運が向かないときは「オレを見ろ!」と村西さんは言う。
「ソフトバンクの孫さんのような成功者なんて、宝くじに当たったようなもの。そんな人をうらやんでも意味がない。つらいときは、自分より下の人がいるのを知ることです。たとえば大海原で、あなたが遭難して救命ボートをこいでいるとする。大波がきて『もはやこれまで』と諦めたその横に、板切れにつかまって必死で陸を目指す73才の、それもパンツ一丁の私の姿を見てごらんなさい。『ああ、下には下がいる』と元気になるでしょう」
村西さんの近著のタイトルは『人生、死んでしまいたいときには下を見ろ、俺がいる』(祥伝社新書)。その言葉通りのメッセージだ。
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20220503_1750897.html
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