「あいつは本当に単細胞だよな」と馬鹿にする表現があるように、「脳も無い単体の細胞 = 単純で賢くない」というイメージが定着しています。

ところが、スイス・チューリッヒ大学分子生命科学科に所属するルーカス・ペークマンス氏ら研究チームは、細胞1つ1つには複数の情報を自律的に処理・判断する能力があると発表しました。

1つの細胞は私たちが考えていたよりもはるかに賢く、優れた存在だったようです。

研究の詳細は、2022年7月14日付の科学誌『Science』に掲載されました。

人間は同時に複数の情報を取り入れることで、より正確な判断が可能になります。

例えば、食事という1つの場面でさえ、人間は味覚だけでなく視覚や嗅覚から得られる情報も頼りにします。

ステーキを焼いて食べるとき、単純に「美味しいステーキ」と評価するのではなく、「塩コショウとニンニクが効いたレアなステーキ」と評価するのです。

場合よっては、触感や色、香りから「もう少し焼いた方がいい」とか「鮮度が悪い」という結論に発展することもあるでしょう。

こうしたマルチな情報処理能力はAIにも求められるようになっています。

例えば従来の監視AIは、映像だけを頼りに要注意人物を見つけていました。

対象者の動きから、その人が「暴走している」とか「破壊行為をしている」などと判断していたのです。

しかし最近では技術の進展により、さらに幅広く正確な判断ができるAIが求められています。

映像だけであれば、「何もしていない人」でも、音声情報も含めて判断することで、「叫んでいる・騒音を引き起こしている人」として、要注意人物を発見できるのです。

このように「複数の情報を取り入れて、自律的に処理・判断する能力」は、生物が本来もっている非常に高度で複雑な能力の1つです。

これを再現するのはAIでも簡単ではありません。

しかしペークマンス氏らの研究によって、私たちを構成する細胞の1つ1つが同様の能力をもっていると判明しました。

個々の細胞がどのように働くか理解することは、医療などさまざまな分野で役立ちます。

例えばがんは、細胞がもつ増殖因子が暴走し、無限増殖することで体中に転移します。

そのため個々の細胞がどのような情報を元に「増殖する・しない」の決定を下しているのか把握できるなら、新たながん治療の確立に役立つはずです。

そこでペークマンス氏ら研究チームは、1つの細胞が意思決定に至るプロセスを調べることにしました。

個々の細胞が非常に単純なメカニズムで動いているのであれば、簡単な測定で済むでしょう。

しかし、個々の細胞は人間のようにマルチに情報収集している可能性があります。

そのため、対象となる細胞の内部(細胞小器官など)だけでなく、細胞外の情報を取得する「外部センサー」の働きを同時に測定する必要がありました。

また、より正確で総合的な結果を出すため、数百万個にわたって細胞を分析する必要もありました。

そのために研究チームは、チューリッヒ大学で開発された「4i」と呼ばれる特殊な方法を採用。

研究チームによると、「この方法では、蛍光顕微鏡を用いて個々の細胞に含まれる最大80種類のタンパク質を同時に可視化・定量化できる」とのこと。

測定の結果、1つの細胞は、細胞内部と外部のさまざまな情報を使って、総合的に物事を判断を下していることが分かりました。

たとえば、細胞内にはエネルギーの発電所たるミトコンドリアがいますが、その存在量も細胞は監視しており、その情報を含めた細胞内のさまざまな状況と外部センサーからの情報とを複合的に利用して「増殖する・しない」の判断を行っていたのです。

そのためチームは次のように結論付けています。

「1つの細胞は、複数の情報を使い、状況に応じた適切な判断を下すことができるようです。それはこれまで考えられてきた以上に複雑なものであり、彼らは想像以上に賢い存在なのです」

この結果は、細胞が変異する原因を突き止めたり、治療したりするのに役立つでしょう。

私たちの中では「単細胞は単純で賢くない」というイメージが定着していますが、実は、「思ったより賢い」存在だったと分かりますね。

これからは「あなたは本当に単細胞よね」と言われた場合も、「複数の情報から正確な判断を導き出すわよね」という誉め言葉として受け取ってもいいかもしれません。

以下ソース
https://nazology.net/archives/112291