0001逢いみての… ★
2022/08/02(火) 23:13:19.78ID:CAP_USER都内に住むYさん(30代/男性)は、小学生の時にバスケットボールの試合でボロ負けして大恥をかいたが、そこから“人生の真理”を学んだ。
「私は4年生の時、バスケ部に入部。上級生はおらず、顧問の先生も優しくて、和気あいあいとした雰囲気が気に入っていましたが、5年生になると、先生の誘いで大会に出ることになりました。クラブには運動神経抜群の子が2〜3人いたので、“もしかして俺たち、強いかも”と思っていましたが、とんでもなかったです。
対戦相手はレベルがまるで違い、まったく試合にならないまま98対9で終了。複数のコートで試合が同時進行していましたが、途中から体育館がざわつき出し、子供たちが『100点!100点!』とコールし始め、完全に晒し者でした。あと少しで100点というところで試合終了したので、ボロ勝ちした相手チームの選手のほうが悔しがっていたのが印象に残っています。
自分たちのチームは試合後、泣いている子、不貞腐れている子、ショックで呆然としている子など反応は色々でしたが、私は控えメンバーだったので妙に冷静で、“適当にやっていると、適当にしか楽しめないんだな”と思っていました。努力もせずに何かを得られるほど世の中は甘くないということを身をもって学び、仕事で思うような結果が出なかった時などは、今でもあの試合のことを思い出します」(Yさん)
千葉県に住むMさん(40代/男性)は、息子が屈辱を味わった。親の影響で子供の頃から野球好きだった長男は、小学3年生で地元の野球チームに入ったが、初めての試合は大きな試練となった。
「息子は背が低くて身体も華奢ですが、運動神経は抜群。最初はショートでしたが、しばらくして投手を任されるようになりました。しかしデビュー戦は緊張してストライクが全く入らず、四球を連発。ランナーが出ると盗塁でメチャクチャに引っかき回され、30対0になったとところで監督が相手チームと相談して、試合は打ち切りになりました。最後の方はマウンドで泣きながら投げていて、その後いくら説得しても二度と練習には行きませんでした。
ただ、幸いなことに学校の成績は優秀で、その後は勉強にシフトチェンジし、第一希望の私立中学に合格。今は“科学者になりたい”と言って、マジメに勉強しています。息子はあまり背が伸びず、体もガリガリで、あのまま野球を続けても芽は出なかったはず。本人も『向き不向きが早めに分かって良かった』と言っており、結果オーライだったかもしれません」(Mさん)
西日本出身のAさん(40代/男性)は、サッカーの試合で“井の中の蛙”という言葉を覚えた。
「小さい頃からサッカーをやっていて、小学校ではダントツのトップ。上級生にも自分より巧い人はおらず、自分のことを本気で天才だと信じていました。しかし6年生の時に出た大会で、相手チームにH君というとんでもなく巧い子がおり、その子1人に10点以上取られて負けました。全てにおいてレベルが段違いで、自分が調子に乗っていたことが猛烈に恥ずかしくなり、性格がガラッと変わりました。自分で言うのも変ですが、それまでは嫌な奴だったのが、謙虚な人間になれたと思います。
H君はその後Jリーガーになったので、本当に天才でしたが、そんな彼でも日本代表にはなれなかったので、世の中、上には上がいるということ。狭い場所でお山の大将でいるのは気持ち良いですが、自分の力を過信してはいけないということを教えてくれたH君には感謝しています」(Aさん)
続く
以下ソース
https://www.moneypost.jp/934075
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