0001逢いみての… ★
2022/10/27(木) 23:04:23.80ID:CAP_USERその一つの大きな限界は、現代の科学は、「意識」というものの本質を、まだ、明確に説明できないことである。そして、その理由は、現代の科学が「唯物論的科学」だからである。
すなわち、現代の科学は、この世界の本質は「物質」であり、「生命」や「生物」も「意識」や「心」や「精神」も、すべて、「物質」が複雑な物理的・化学的な相互作用を生じた結果、生まれてきたものであるとの立場、すなわち、「唯物論」の立場に立っているからである。
これは、言葉を換えれば、すべてを「物質」の性質で説明する「物質還元主義」の立場であるとも言える。
そして、その結果、この「唯物論的科学」は、「意識」というものも、すべて「物質」が生み出したものであるとする立場に立ち、我々の「意識」や「心」や「精神」というものも、人体の中の「脳」という部位の「神経細胞」が起こす化学的・電気的な相互作用によって生まれてくるとする立場に立っている。
それゆえ、この「唯物論的科学」は、「肉体」が消えれば「意識」も消え、死後に「意識」が残ることは無い、従って、「死後の世界」など無い、との明確な立場に立っている。
そして、我々の多くは、現代の科学のこの考えを「絶対の教義」のごとく、受け入れてしまっている。その理由は、先ほども述べたように、現代においては、「科学」が「最大の影響力を持つ宗教」になっているからである。
しかし、現代の科学、すなわち、この「唯物論的科学」や「物質還元主義的科学」と呼ばれるものは、すでに何十年も前から、限界に直面している。
現代の科学が直面するのは、「要素還元主義」の限界である。
この「要素還元主義」とは、「ある対象の性質を理解するためには、まず、その対象を小さな要素に『分解』し、次いで、それぞれの要素を詳細に『分析』し、最後に、そこで得られた分析結果を『総合』すれば、その対象の性質がすべて解明できる」という考えである。
実は、『方法序説』を著した17世紀のフランスの哲学者、ルネ・デカルト以来、永年、科学は、この「要素還元主義」に立脚してきた。
しかし、近年、その限界が明らかになってきたことから、この「要素還元主義」を超える科学的手法として、「複雑系科学」(Complexity Science)が注目されるようになってきたのである。
この「複雑系科学」とは、現代の科学が立脚する「要素還元主義」への根本的批判として生まれてきたものであるが、分かりやすく言えば、「物事が複雑になっていくと、新たな性質を獲得するため、複雑な対象を要素還元主義的に分解し、分析し、その結果を総合しても、対象の性質を正しく理解することはできない」という立場に立った科学である。
一つの例を挙げれば、秋の空に浮かぶ鱗雲の性質を理解しようとして、その雲を取ってきても、それは水蒸気の固まりにすぎず、鱗雲の性質は消えてしまって、分からない。
そして、水蒸気の性質を理解しようとして、その水分子を取り出してきても、水蒸気の性質は消えてしまって分からない。さらに、水分子の性質を理解しようとして、それを分解して、酸素の原子1個と水素の原子2個に分解しても、水分子の性質は分からない。
同様に、「意識」や「心」や「精神」というものの本質を知ろうとして、脳を解剖して神経細胞の働きを仔細に調べても、それだけでは、決して、「意識」や「心」や「精神」というものの本質を知ることはできないのである。
続く
以下ソース
https://smart-flash.jp/lifemoney/207054/1
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