【男性】かっこいい生き方はどこにある?思い描いた通りじゃなくても小さくかっこよく生きていく!居酒屋でおっさんが教えてくれた人生訓
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―[おっさんは二度死ぬ]―
居酒屋で二人で飲んでいるときに相手がトイレに立ってしまったら、とても時間を持て余してしまうものだ。あまりにその時間が長いとどんどん酒がすすんでしまい、一人だけ泥酔という状態に陥ってしまう。
どうやら相手はトイレに行ったまま、便器に座ってスマホゲームに興じているようで、ちょっとやそっとじゃ帰ってこない雰囲気がムンムンに伝わってくる状態になってしまった。なんかスマホゲームの団体戦というか、攻城戦みたいなものがあるとか言っていたから絶対に長くなる。
「だからよ、俺はかっこいい人生ってやつを諦めたんだよ」
呆然としていると、隣からそんなセリフが聞こえてきた。
このまま無言で酒を飲んでいたら絶対に泥酔してしまう。泥酔すると金に関する守備力がゼロになってしまい、飲み代をぜんぶ奢るのはおろか、帰り道に意味不明にSwitch(有機ELモデル)を購入して相手にプレゼントするなど、狼藉の限りを尽くしてしまい、財布の中がカラになってしまう。次の日に呆然とするやつだ。それだけはなんとか防ぐ必要がある。だから隣の会話に聞き耳をたて、酒をセーブすることにした。
「俺はかっこいい人生ってやつを諦めたんだよ」
カウンターの隣に座る二人組は、こちらと同じくおっさんの二人組だ。片方がやや年配の感じで、もう片方がやや年下といったところだろうか。かなりの高確率で競馬場の帰りにこの店に立ち寄ったであろういでたちだった。競馬新聞も持っていたし、胸ポケットに赤ペンが刺さっていた。
年配のおっさんがやや年下のおっさんに人生訓のような説教を展開しているところだった。めんどうくさいやつだ。できれば年下の立場で受けたくないやつだ。
年齢差のあるおっさん同士はこういった状態に陥りやすい。そこでは年上のおっさんの良く分からない人生訓や、武勇伝を聞かされ、若い時はこんなもんじゃなかったで締めくくられる。けっこうな苦痛にカウントされるであろう無為な時間が流れるものだ。しかしながら、隣のおっさんの人生訓は違っていた。
「俺の人生、かっこいいのは諦めた」
自分はダメだったという入りは珍しい。その独特の導入に一気に心を鷲掴みにされてしまった。本来の話し相手である年下のおっさんも興味津々といった感じだ。
「かっこいい人生ってな、なにも特別なものじゃないんだよ。タレントになったり、賞をとったり、みなから賞賛されたり、大金持ちになったり、それがかっこいい人生ってわけじゃない」
年上のおっさんはしみじみとそう口にした。
「ああいうのはな、写真うつりと一緒だ。写真ってのは一瞬しか切り取らないから写真うつりが良かったり悪かったりって起こるんだ。連続して存在する人間ってやつを写さないからな。一瞬だけ切り取ってかっこいい人生とするのは写真うつりと同じよ」
年上のおっさんはなかなか深みのあることを言っている。
「風俗店のパネマジと一緒ね。ぜんぜん違うやつ出てくるし」
そう答えた年下のおっさんは絶対に話の本質を理解していない。
「おれ、病気になってもうフルタイムで働けないし、家庭を築くこともできなかった。年老いた親のために何かもしてやれないし、甥や姪にまともな祝いも送れない」
年上のおっさん曰く、脚光を浴びるような、大成功をするような特別な人生でなくても、心の中で漠然と「普通に生きる」ことはできると考えていたようだった。思えばそれが彼にとっての「かっこいい人生」だったようだ。バリバリに働き、家庭を持ち、親族を大切にする。それがかっこいい人生だと考えたようだ。僕自身はそうは思わないが、年上のおっさんはそう感じたようだった。
「それらはぜんぶ無理になっちゃったけどね」
何の病気かは分からないが、病気が原因でバリバリに働けなくなってしまった。それで全ての「かっこいい人生」が崩壊した。年上のおっさんはそう言った。
続く
以下ソース
https://nikkan-spa.jp/1877110
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http://mercury.bbspink.com/avplus/ 「このあいだ行った店なんてマジパネマジですよ、パネルマジックどころじゃない、パネルイリュージョンですよ」
年下のおっさんはまだパネマジのことで盛り上がっていて、年上おっさんの渾身の独白もまったく心に響いていない様子だった。いまはもう、パネマジのことはどうでもいいんだ。上手に話題の切り替えができないところが本当におっさんの特徴を表している。
年下のおっさんには響かなかったようだけど、ぜんぜん関係ない僕には随分と響いた。思えば僕も、若い頃に漠然と思い描いていた「かっこいい人生」ってやつには到達できなかったように思う。
それは脚光を浴びたり成功したりという断片的なそれではなく、また年上おっさんのいう「安定した普通の人生」でもないように思う。僕にとっての「かっこいい人生」とは、なんというか余裕のある佇まいの人生であるように思う。焦ることなく、不安になることなく、苛つくこともなく、心配事もない余裕ある人生と立ち居振る舞い、それが僕にとっての「かっこいい人生」だったように思う。
いつかはそんな余裕ある「かっこいい人生」を送れると思ったのにそれがどうだ。いまの僕は余裕とは程遠い。
まさか、総菜弁当が半額になる瞬間を狙って腕組みで立つ(通称:ベガ立ち)オーディエンスの前で普通に弁当を買おうとして、こっちはずっと待っているんですけど、と言われて壮絶な口論を展開するほど余裕のない人生を送るとは思わなかった。「俺は定価で買いたいんだ! 店のために!」と本気で反論せず、「あら失礼、どうぞ」と譲ってあげられる余裕があることこそが「かっこいい人生」なのだ。
まさか、家の前にいつも犬のウンコを放置する人がいて、あまりに腹が立ったものだからその犬のウンコを毎日チョークで意味深に囲って「12/03 AFRG-OK」とかその日の日付と何かをチェックしたみたいな意味深なことを書いていたらそのうちウンコされなくなったみたいな、余裕のない人生を送るとは思わなかった。犬のウンコくらい、オールオッケーですわ、くらい余裕があるのが僕にとって「かっこいい人生」なのだ。
そういった自分が思い描いていた「かっこいい人生」に多くの人が到達していないのではないだろうか。そこで「かっこいい人生ではなかった」ときちんと認識し、受け入れる必要があるのだ。成功や到達の断片よりも、至らなかったその思いはずっと現実として続いていて、重い。それを受け入れる必要がある。
「思い描いたかっこいい人生ではなかったけど、いいところもあるんだよ」
年上のおっさんは芋焼酎の水割りが入ったグラスを傾けながら言った。
「そうではなかったと思えるからこそ、色々な場面で少しでもかっこいい人生でありたいと振る舞える。それが大切かな」
あんたもう、すでにかっこいい人生だよ。もう僧侶の域に達しているよ。
ぜんぜん関係ない僕にはめちゃくちゃ響いているのに、本来の相手である年下おっさんには全く響いていない様子。
「そろそろ帰りましょうか」
と、早く帰りたそうにしている始末。
「帰る前にちょっとトイレ行ってきますね」
年下おっさんはいそいそとトイレに向かった。トイレには僕の飲み相手であるおっさんが攻城戦に夢中になっているので、なかなか空かないはずだ。当分の間、年下おっさんも帰ってこないことが予想された。
僕と同じように持て余してしまった年上おっさんは、即座に動いた。
「お会計」
年下おっさんがいない隙をついて全部の会計を済ませてしまったのだ。かなりスマートに、そうすることが当然であるように全てを支払ったのだ。むちゃくちゃかっこいい。
「すいません。トイレあかないので駅でします〜。行きましょう」
しばらくして、年下おっさんがすごすごと戻ってきた。たぶん攻城戦のせいだ。すまん。
「じゃあいこうか」
「あれ、お会計は?」
年下おっさんは、お金を請求される雰囲気がないことを不審に思ったようだった。すぐに年上おっさんが答える。
「ああ、なんかしらんけど無料になった」
続く めちゃくちゃかっこいい。
なにもしらないのに無料になるはずないんですけど、こう答えることで年下おっさんは奢られたという気負いを感じないわけです。「おごりだよ」と宣言する押しつけがましさがなく、それでいてユーモアもあって実にスマート。場面場面でかっこいい人生でありたいってこういうことなんじゃないかって思うんです。
「そんなあ、いつもじゃないですか。今日は払いますって。割り勘にしましょうよ」
年下おっさんも食い下がる。どうやらいつもこんな感じで奢ってもらっているらしく、ついにしびれを切らし、今日こそは払うぞというなかなかの意気込みだ。
「割り勘も何も、なんでか知らんけど無料になったんだよ」
「なるわけないじゃないですか、本当のこと言ってくださいよ。割り勘にするんで」
年下おっさんの言うこともごもっともだ。けっこうな勢いで食い下がる。そこで、突如として年上おっさんが僕に話を振ってきた。
どうやら、ずっとおっさんの演説を僕が興味深く聞いていたのを気配で感じていたっぽく、さらにかなり共感してうんうん頷いていたのも感づかれていたようだった。となりのおっさんに振っても大丈夫という、確信をもって僕に振ったようだった。
「実は、となりの人がぜんぶ奢ってくれたんだよ。ご馳走様、ありがとうね」
急にとんでもない振りをもらった僕は狼狽した。本来なら、ここで「いいえ、僕は関係ないです。奢ってもいないです」と答えるのが、余裕のないこれまでの僕の人生だった。けれども、かっこいい人生じゃなかった僕だって場面場面でかっこよくありたい、そう思ったのだ。
「いえいえ、遠慮なさらず。アプリ開発で巨万の富を得たので金が余ってしょうがいないでんな〜」
妙に狼狽してしまい、よく分からない設定で嘘をつき、おまけに謎の関西弁という始末。なんだよ、アプリ開発って。
明らかにウソなんですけど、形式的に年下おっさんは納得した感じだった。
去り際、先に店を出た年下おっさんの姿を確認して、年上おっさんが小さい声で話しかけてきた。
「ありがとな」
「かっこいい人生だと思いますよ」
僕の言葉に年上おっさんは小さく笑い、やけに指先がピンと伸びたピースサインを見せた。
僕たちの人生は、思い描いたものに届かない。届くことが「かっこいい」のではないのかもしれない。届かなくとも、小さな場面ごとにそうあるように生きていく。それこそが「かっこいい人生」なのかもしれない。
「いやーまいった、まいった、急に甲状腺が痛くなってさー、トイレ長引いちゃったよ」
バレバレのウソをつきながらやっと帰ってきた本来の相手に、いつもの余裕のない僕なら不快感を示すのだけど、もうそうはならない。
「どうせスマホの攻城戦だろ。甲状腺と攻城戦をかけるなんてやるじゃん。さあ、かえろうか」
と笑顔で席を立った。
「あれ、お会計は?」
「なんか知らんけど無料になった」
すこしだけ「かっこいい人生」に近づいたような気がした僕は、心地よいほろ酔い気分のまま、駅へと向かった。 居酒屋にいるオッサンの失敗人生のポンコツに人生訓垂れる資格ないだろ。 世の中には器のでかさがとんでもない人ってのがいるもんだな。。。 トイレに行ったまま帰ってこないのは膀胱のでかさがとんでもない人だったんだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています