0001逢いみての… ★
2023/07/13(木) 01:10:55.27ID:CAP_USERWHOによると、「性の健康は生殖年齢機に限らず、思春期から高齢期まで人の一生に関わるものである」らしい。この声明どおりの人生を送っているのが、世界最高齢セクシー女優の小笠原裕子さん、今年で88歳。どこまでも“元気”な小笠原さんはどんな人生と性生活を送ってきたのか。前編ではその前半生を追う。
81歳で業界デビューして以来、マイペースに作品に出演し続ける小笠原裕子さん。その異色すぎる人生はフランス国営放送がドキュメンタリー特集を組んでしまうほどだ。
人生の夕暮れにたどり着いた(迷い込んだ?)舞台を存分に楽しむ小笠原さんに、根掘り葉掘り聞いてみた。
――小笠原さんのご両親はどんな方だったんですか?
小笠原裕子(以下、同) 父は山形県鶴岡市出身で、早稲田大学卒業後に東京の保険会社で営業していたころに母と出会ったのね。母の実家は生糸の大きな工場を持っているような裕福な家庭だったから、最初は家柄の関係で結婚を猛反対されてたみたい。それで、駆け落ちして生まれたのが私。ドラマティックでしょ?
――戦前なのにすごいですね。
うちは私を含めて5人姉弟。父親も転勤で山形県の山形市や鶴岡市なんかに行ったりしてる忙しいなか、しかも戦争中なのに5人も生んでるんだから、よほど好きだったんだろうね。
――戦争の記憶はありますか?
小学校2年のころに戦禍がひどくなって、山形市から4里歩いた農家に疎開したけど、そこではお風呂の代わりに牛も一緒に水浴びしてるような川に毎日入るような生活。だからシラミじゃ、ノミじゃと大変だったの。みんな校庭に並ばされてDDT(殺虫剤)を頭からかけられて。その次に父の親戚が多い鶴岡に行って。そこで天皇陛下の玉音放送を聞いたわ。その後も父の転勤のたびに静岡だ千葉だと引っ越したわ。
――そんな学生時代での恋愛は?
片思いかわからないけど、中学のときに『あ、かっこいい男の子がいるな』ってことはあったわよ。でも、それくらいね。転勤族だったし、高校は女子校だったし。中学の同窓会で「下駄箱にラブレターいっぱい入ってただろ?」って言われたことあったけど、全然覚えてない。高校まではそれくらい興味がなかったのね。で、大学の卒業後に小西六写真工業(現・コニカミノルタ)を経て、父が亡くなったあとに、父と同じ保険会社に就職したんです。
――そこで“パパ(夫)”と出会うわけですね。
母親から「女は23歳になったら家を出なさい。それ以上になったら、売れ残りだから、23歳までにいい人を見つけて結婚しなさい」と言われてたんですよ。私はね、若いときから、背が高くて、自分より頭が良くて、イケメンで、スポーツができる人がいいという理想があったの。あとは家から通ってるのは親が甘やかしてるから、寮生活か下宿の人がいいとか。母親は専業主婦をやらせてくれる人じゃないとダメって考えだったし、そうなるとなかなかいないもんね。
――そんな高い理想をかなえた男性が同い年のパパだったと。
会社で会ってすぐに「この人かっこいいな」って思ったの。部署は違ったけれど、同じ学年ということもあり、すぐにお互い気になる存在になったわね。パパは、京都大学のアメフト選手だったから体格もいいし、この会社で働いているんだから、専業主婦もさせてもらえるだろうということで条件もぴったり。それで私も好きだったけど相手のほうがもっとこちらのことを好きになっちゃった。彼は当時住んでいた浦和から私が住んでいた高円寺まで毎日送ってくれたんです。食事のときにうちの母は「婚約もしてないうちは、お食事はご一緒させませんので、ここで待っててください」なんて言うの。だから、10月に出会って、その年の暮れには婚約して、翌年には結婚。スピード婚ね。
――夫婦の営みのほうは?
23歳で結婚して、新婚時代は朝2回、夜2回で1日4回よ。
続く
https://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=nykd00074/RaceQueenInc-001
以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4007ab7111abd011663867a6742f3c8538a44fa