0001逢いみての… ★
2023/10/27(金) 22:48:38.38ID:CAP_USER中国が「中」であることはわかる。一方でアメリカをなぜ「米」と書くようになったのか、その理由を答えられる人は多くはないだろう。今回は当たり前に使われているが実はよくわからない、外国地名の漢字表記について深掘りしていく。
「ロシアの漢字略称は今でこそ『露』と書きますが、かつては『魯』と書いていました。また、アメリカのことを日本では『米国』と書きますが、中国では『美国』という表記が一般的。このように、どんな漢字が当てられるかは時代や国、書物によっても異なります」
冒頭から意外なエピソードを紹介してくれたのは、日本語史を専門とする成城大学の陳力衛教授だ。そもそもなぜカタカナ表記ではなく、漢字表記が広まったのだろうか。陳教授が続ける。
「ルーツは中国にあります。中国の文字は漢字しかありませんから、外国地名も漢字で表記します。それがどうして日本に伝わったのか。話は江戸時代にさかのぼります。
当時の日本は鎖国の影響もあり、西洋の知識に乏しく、一方で中国は西洋の国々とも交流がありました。そのため日本が近代化を進めるにあたり、当時の知識人は中国語に翻訳された漢訳洋書を通じて、西洋の知識を吸収したのです。
明治5年には外国の国名、地名、人名の漢字表記がまとめられた『洋語音訳筌(せん)』が出版されます。本書は、漢訳洋書から例を集めて辞書として重宝され、その後の漢字表記に大きな影響を与えました」
漢字表記が中国から伝わったのであれば、日本もアメリカを『美国』と書いてもおかしくはない。なぜ日本と中国で表記の違いが生まれたのだろうか。
「中国もはじめから『美国』で統一していたわけではなく、亜米利加(アメリカ)、亜美利加(アメリカ)、米利堅(メリケン)、美利堅(メリケン)など、さまざまな表記がありました。それらは日本にも入ってきたので、日中問わず『米国』や『美国』が混在している状況でした。
中国側の状況を変えたのが、在中アメリカ人が1838年に出版した『美理哥合省国志略』で、のちに『大美連邦志略』と改版されたのです。アメリカという国を中国語で紹介した本なのですが、自国をよく見せるためにタイトルに『大美』をつけたと考えられます。
『大』は大日本帝国や大韓民国のように、偉大な国であることのアピール。『美』はアメリカを示す漢字ですが、『米』よりもよい印象を与える『美』を採用した。以降、中国では『美国』が定着していくことになります。
本書はのちに日本にも入り、明治期には知識人がアメリカの政治制度などを勉強する格好の“教材”となったのですが、どういうわけか『大美』を抜いた『連邦志略』というタイトルで出版されたんです。その影響もあってか、日本では『美国』は定着せず、『米国』のほうが定着していきました。『洋語音訳筌』でも「米利堅」を見出し語として掲げています」(陳教授)
漢字は音を表すとともに、意味も読み取れる文字だ。そのため「こんな漢字は嫌だ」とクレームが入ることもあるという。その典型例がロシアだと陳教授は言う。
「1855年に締結された『日魯通好条約』に見られるように、ロシアを表す漢字は『魯』が一般的でした。『ロ』シアと読むから『魯』と書いた。それ以上でも以下でもなかったわけですが、あるとき在日ロシア大使館から“魯という字には乱暴、そそっかしいという悪い意味があるから変更しろ”と日本政府にクレームが入ったのです。
そのため代わりに『露』が当てられるようになったのですが、これには裏話があります。実は『露』という漢字には、日本側の願いも密かに込められていたようです。日露戦争の時期になってから『日露』が“日が昇る、露は消える”と解釈されるようになったのは、そのためだと言います。
他にも、最近まで韓国のソウル市は中国語で『漢城』と表記されていました。600年以上続く伝統ある表記だったのですが、韓国内で“漢城という中国風の当て方は嫌だ”と批判が高まり、’05年に『首爾』に変更するように中国政府に通達しました」
続く
以下ソース
https://friday.kodansha.co.jp/article/337603