ロゼッタストーンと言えば、1799年にナポレオンのエジプト遠征で発見された石板(石柱)だ。ヒエログリフ、デモティック(民衆文字)、ギリシア文字の3種類の文字が刻まれており、1822年に古代エジプトの研究者であったシャンポリオンによって解読されたことによって、ヒエログリフの解明につながった碑文としても有名である。

現在では、ロゼッタストーンという言葉は、暗号化された情報を解く鍵となるものなどを指す慣用表現としても使用されるようになった。

1933年、沖縄県中頭郡嘉手納町で熊本医科大学(現在の熊本大学)学長山崎正董(やまさきまさただ)と研究者島袋源一郎により、謎の線刻された石板が発見された。この石板は、現在に至るまでに13枚ほど発見され、そのうち1枚が第二次大戦中に紛失したことによって12枚が現存しており、数枚が沖縄県立博物館・美術館に収蔵されている。

十字やNのような文字や記号そして船や鳥と思しき図が記されているが、どういった内容が書かれているのか、そもそもこの石板がいつ作られたものであるかについては現在でも不明であり、いつのころからか「沖縄のロゼッタストーン」と呼ばれるようになった。

記されている文字についても諸説唱えられており、かつて与那国島で使用されていた象形文字「カイダ文字」に似ているというものから、ムー大陸について記されていると言われている粘土板「ナーカル碑文」に記された文字に近いというものまでさまざまである。中には、琉球時代にまじない師トキが吉凶を占う際に利用していた書物「時双紙」に記された絵文字に関係しているという説もあるが、いずれも確定までには至っていない。

また、これが海外から渡ってきたものであるという説も唱えられている。その中でも、アメリカのインディアン・ホピ族との関係が強く示唆されている。沖縄のロゼッタストーンとホピ族の持つ石板には類似点が多く指摘されているという。石板にある船と思われる絵柄の下には、長い直線上に細かく短い線を刻んだ印が描かれており、これは渡海の日数を表しているのではないかとも言われている。

またホピ族の伝承に「石板を分けた白い兄と赤い弟」の神話が存在しているという。その神話は、「遠い世界へ旅立った白い兄が、欠けた石板を持って帰り世界を平和に導く」といったものであり、この白い兄と欠けた石板こそ沖縄の人々とそのロゼッタストーンであるというのである。一説では、ホピ族の酋長が沖縄を訪れてこの石板を見た際、我々のものと同じだと発言したとも言われているのだ。

さらに真偽のほどは定かではないが、この沖縄のロゼッタストーンは本来140枚以上も発見されていたはずであるのだが、そのほとんどをアメリカが回収してしまったと言われている。それは、アメリカにとって知られてはならない情報が石板に記されているため、隠蔽されてしまったのだというのである。戦中に紛失した1枚も、他の現存する石板と違って最も形状が整ったものだったと言われている。

沖縄の与那国海底遺跡、古くから伝わる海の向こうの浄土「ニライカナイ」、不思議な遺跡や伝承が数多く残る沖縄であるが、それらのルーツを収束させる手掛かりが、この沖縄のロゼッタストーンに秘められているのかもしれない。

以下ソース
https://mnsatlas.com/?p=44936