ちょっと前、実業家のひろゆき(西村博之)さんとの「X」(旧ツイッター)でのやり取りが、インターネット上で話題になった。

ひろゆきさんは児童養護施設にパソコンを無償で配布するプロジェクトをやっていて、500万円を寄付した著名な人たちを公開していた。これを「売名だ」と批判するユーザーに「500万円ぽっちで信用が得られるんだから、やればいいのに」といった感じで挑発したひろゆきさんに、ボクが「ショボい人だな」と投稿したんだ。

この場合、別に金額について言っているわけじゃない。彼のプロジェクトはとても有意義なものだと思うしね。ただ、「500万円ぽっち」などと語る彼の心根が「ショボい」と表現したんだ。それこそが貧しい発想じゃないか、とね。

「長者の万灯より貧者の一灯」という言葉があるように、たとえ生活が苦しくても心を込めて100円を募金したのなら、それにはとても大きな価値がある。立派な寄付行為だよ。ボクも絶対に「ショボい」なんて言わない。大事なのは真心であって、金額の大小じゃないんだ。

ボクの場合、自分でやる寄付行為で「一緒にやりませんか?」と呼びかけることはしない。よそから「お金を出します」と提案されても拒否するね。人からのお金をばらまくようなことはしたくないもの。簡単に言えば、自分の私財を好きなようにばらまく。それだけだ。

ちなみにショボいとかセコい人、というと、ボクは国際政治学者の舛添要一さんを思い出すね。東京都知事時代、別荘への移動に公用車を使ったり、千葉県の温泉施設などで「会議費」名目で家族と宿泊したりして批判された。そんなにひどい悪いことをしたわけじゃないようにも思えるんだけど、偉い人がセコいことをやったために、ものすごくインパクトが大きかった。

金額も一般人にとって身近でイメージしやすいものばかりだったしね。ご本人は「これくらいの金額なら大丈夫だ」と考えていたのかもしれないが、かえって大炎上してしまったんだね。

一方で、心が貧しくなってしまった日本人が増えたとも感じている。「できるだけ多く得したい」とか、いかに効率よく金を稼ごうかということばかりに躍起になっているような人たちだ。

逆に「ボロは着てても心は錦」という人をショボいとは思わない。まあ、ボクらの時代と違って、現代の日本人にはこういった感覚は持ちにくいのかもしれない。

以下ソース
https://www.zakzak.co.jp/article/20231205-6BYN4VQBVZIYFIIQWI3A2BKI3E/