野党は、政治倫理審査会での弁明を不服として、衆参両院での安倍派幹部らの証人喚問を要求した。「証人喚問は偽証罪に問われるから虚偽答弁はできない」との理由だ。

しかし、偽証罪を問うには精緻な事実の積み重ねが必要だ。国会は「捜査機関」ではない。証人喚問で真相解明ができると考えるのは幻想だ。

「派閥幹部だから知っているはずだ」程度の質問をいくら繰り返しても、結果は政倫審と同じだろう。

昭和初期、立憲政友会と立憲民政党が、政策論争そっちのけの「泥仕合」と言われる批判合戦を展開した。当時、政権に失策があった場合、政権交代させるルールがあった。このため、「反対党を貶(おとし)めれば政権が手に入る」という党利党略を優先させた結果だった。

それが国民に見透かされて、議会政治への信用を失わせた。

現在の制度は、当時とは違う。国会で多数派を形成した政党中心に首相指名を経て内閣を組織し、政権を担当する仕組みだ。野党が政権交代するには、次の総選挙で多数を確保しなければならない。その大前提となるのは、自公政権に代わる政権の受け皿とその政策だ。

ところが、立憲民主党の泉健太代表が提唱している「ミッション型政権構想」は、時々、思い出したように言及するだけで、実現に向けた強い意欲は感じられない。岡田克也幹事長が他党に働きかけたり、党の部門会議で政権獲得に向けた政策論議が行われている様子も伝えられない。

日本維新の会も同様だ。立憲民主党の構想に不満なら、なぜ、自ら提唱しないのか。馬場伸幸代表が「野党第一党を目指す」と公言するなら、なおのことだ。

「真相解明」を振りかざして政権批判に明け暮れる国会の状況は、昭和の帝国議会と酷似しているように思えてならない。このままでは、その後の歴史がたどったように、議会制民主主義への不信につながってしまうのではないか。

野党が自覚すべきは、「国民の不満は与党だけではなく、野党にも向けられている」ということだ。

議会政治は、与野党が切磋琢磨(せっさたくま)することを前提に成り立っている。岸田文雄政権や与党に対する批判が高まっているなか、必要なのは野党からの「政策ビジョン」の提示だ。

自公政権が「良くない」とするならば、どの政策をどう変えるのか。経済政策はこのままでいいのか。外交・安全保障政策に変化はあるのか。岸田首相に向けられている「負担増」の懸念はないのか―。多くの国民が求めているのは、証人喚問より、そちらの方ではないか。

筆者は、先週の当欄で与党に対して「出直し解散」を提唱した。今号は、野党に「政権の受け皿づくり」と、そのための政策論議を求めたい。

以下ソース
https://www.zakzak.co.jp/article/20240329-YP5TYJKFBZJAJESWHTZMHFCOFI/