昭和一桁生まれのうちの親が子供の頃からあった大阪の習慣です。
巻き寿司を作っても女衆には端しかあたらなかった当時、
切らずに食べる縁起担ぎで、一人に一本は女にとってありがたい習慣でした。
それを下品に取り入れた色街があっただけです。


こういう理由らしいわよ