>>472
映画版の製作後に、富野監督はこうまとめている

「ターンエーで目指したものは、こういうことだったのだ。
ターンエーの劇中の人々は、みんなよく飲む、よく眠る、よく走る。そして、バカな戦いもすれば、月にも行ったし、月からも来た。
ロランは、キエルさんに憧れを感じていたし、ディアナ様を尊敬もしていた。
そして、ソシエを愛おしくおもっていた。
そして、ソシエにはそれがわかったから、ロランをディアナ様にあげたのだ。
そのディアナ様は、ロランとソシエを十分に知っていても、最後の自分を見取ることをロランに頼んだ。
許したのではない。頼んだのだ。
なぜなんだろう?
それは、永遠の疑問ではない。簡単な理由だ。
ディアナの本当の初恋の相手が、きっとロランに似ていた少年だったからだろう。
人間などというものは、そんなものなのだろうと思う。
それは、つまらないことなのだろうか?
そうではないと伝えたいのが、ターンエーという物語なのだ」