1973年頃、長男(第一子)誕生。
1979年頃、長男の父親が蒸発。その後長男が就学年齢に達しても就学通知が来ず、母親が役所を訪ねると長男の父親が婚姻届と出生届を出していなかったことが判明する。
1981年頃、長女(第二子)誕生。以後、子供は自宅で出産し出生届は出されなかった。
1984年頃、次男(第三子)が生まれるが、生後間もなく死亡。
1985年頃、次女(第四子)誕生。
1986年頃、三女(第五子)誕生。
1987年秋頃、恋人と同棲するために母親が兄弟の世話を、第一子の長男に任せ家を出る。
         母親は生活費として数万円を送金し、時折様子を見に来ていた。
1988年
4月、三女(当時2歳)が泣き止まず、長男の遊び友達らが怒り、押し入れの上から何度も三女の上に飛び降りるなどの暴行を受け死亡。
7月17日、大家からの不良の溜まり場になっているとの通報を受け、巣鴨署員がマンションの一室を調べたところ、
    長男(推定14歳〜15歳。以下同)、長女(7歳)、次女(3歳)の三人と、白骨化した乳児(次男)の遺体が発見された。親の姿はなかった。
長女、次女は衰弱していたため、翌18日、福祉事務所に預けられた。
長男から事情を聞くが、あいまいな点が多く、また長女の供述から、長男が兄弟の面倒を見ていたらしいことがわかる。
    長男らはコンビニ弁当などのジャンクフードで生活していたため、栄養失調に陥っていた。
長男らの出生届が出されていないことがマスコミで報じられる。
    長男は昼間ぶらぶらしていることが多く、不審に思った大人たちから「どこの小学校に行っているの?」と聞かれると、常に「立教小学校」と答えていた。
    母親からそのように答えるよう指導されていたのである。